意思疎通、相談、話し合いの重要性

目標に向かってひたむきに練習する中、野球というチームスポーツにおいて非常に重要なことがある。
それはチームの内の意思疎通、相談、話し合いだ。

旧約聖書の箴言15章22節を見てみると、「相はかることがなければ、計画は破れる、はかる者が多ければ、それは必ず成る。」と書かれている。
相はかるとは相談するということだ。
互いに相談しなければ計画したことが上手くいかない、ということだ。
ちなみに韓国語の聖書では의논(相談)と書かれている。(*1)

よく会社などの組織の中ではホウレンソウといって「報告・連絡・相談」を重要視していると思う。
どれだけ互いの意思疎通が上手くいっているかによってその組織の団結力・強度が左右されてくるだろう。

冬トレの期間が明け、試合が始まっていく今この時、様々な実践練習も必須だが、その中で意思疎通、相談、話し合いを繰り返していくことが重要だと思う。
箴言にもある通り、相談がなければ計画したことが上手くいかず、これまで積み重ねてきた冬の練習が台無しになってしまう。
選手間はもちろん、選手と監督・コーチの間も然り、監督とコーチの間も然り、縦横でしっかりと意思疎通ができているのか、相談し、話し合えているのかを点検していきたいと思う。

 

(*1 )의논이 없으면 경영이 무너지고 지략이 많으면 경영이 성립하느니라

連休明けの練習

4連休が明けた今日、久しぶりに選手たちと顔を合わせた。
連休明けということで、比較的軽めの練習に取り組んだ。

やはり、選手ごとに動きが全く違った。
連休中に全く何もしなかった選手は最初の軽いランニングで息が上がってしまっていた。

昨年の連休明けにアクティブレストについての記事を書いた。
選手生活を送る中で休息・休養はとても大切なことだ。
しかし、どのように休むかを知らず、ただ何もせずに休んでしまうと大変なことになる。
これまで養ってきた感覚を失い、失った感覚を取り戻すのに多くの時間と労力が必要になるからだ。
「運動は感覚だ」と先生がおっしゃったことがあったが、休み方を誤り、感覚を失った時にこの言葉の真意が胸に刺さる。

指導者としては、連休明けの練習が一番難しく感じる。
最大限選手の動きを注視しながら、失った感覚を早く取り戻すことができるようにしてあげなけらばならないと思っている。
特に今週一週間をかけて失った感覚を取り戻す作業をしながら、試合の準備を進めていかなければならない。
来週からは練習試合も始まる予定だ。

長く長い冬が明け、いよいよ春を迎えようとしている。
これまでの練習の成果を思う存分に発揮することができるように選手たちを導いていきたいと思う。

神様を恐れるということ

昨日、福島で地震が起こった。
私の姉は埼玉に住んでいるが、福島が震源であったにも関わらず、かなり揺れたそうだ。それも比較的長い時間…
相当な恐怖にかられただろう…

地震は本当に恐ろしい。
私は幸いにして大きな地震を直接体験したことはないが、ニュースを通してその恐ろしさを目の当たりにした。
今回の地震でも多くの人が被害にあっている。
一刻も早く平穏な日常を送ることができるようお祈り申し上げる。

 

さて、聖書を見てみると、「神様を恐れなさい」というたくさん書かれている。
「恐れなさい」という意味はただ単に恐いと思うということではない。

箴言の1章7節に「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。」と書いてある。
この「恐れる」という言葉を辞書で調べてみると、「近づきがたいものとしてかしこまり敬う。畏敬(いけい)する。(デジタル大辞泉より)」とあった。
また、韓国語の聖書(*1)を見てみると경외(=畏敬)という単語が用いられている。
つまり、神様を恐れなさいということはただ単に恐れなさいというだけではなく、敬いなさいということ、すなわち、神様を尊く思って礼を尽くしなさいということだ!
神様を尊く思って礼を尽くすことが知識の初めだという聖書の言葉を是非とも覚えていただきたい。

さらに箴言を読み進めていくと、神様(主)を恐れること(=尊く思って礼を尽くすこと)がどれほど良いことなのかが書かれている。

  • 主を恐れることは人の命の日を多くする、悪しき者の年は縮められる。(箴言10章27節)
  • 謙遜と主を恐れることとの報いは、富と誉と命とである。(箴言22章4節)
  • 主を恐れることは命の泉である、人を死のわなからのがれさせる。(箴言14章27節)
  • 主を恐れることによって人は安心を得、その子らはのがれ場を得る。(箴言14章26節)
  • 主を恐れることは人を命に至らせ、常に飽き足りて、災にあうことはない。(箴言19章23節)
  • 常に主を恐れる人はさいわいである、心をかたくなにする者は災に陥る。(箴言28章14節)

 

イエス様も神様を恐れなさいと強力に説教をなさった。

マタイによる福音書10章28節
また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

ルカによる福音書12章5節
恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

詩編18篇2節で「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」とダビデが告白したように、神様が命の根本者であられるからだ。

 

野球選手たちは監督のことを非常に恐れている人が多いと思う。
なぜか、それだけの権威・権能があるからだ。
しかし、その監督のことを何も知らない人にとっては何の恐れも抱かないであろう。いや無関心であろう。

これと同じく、神様についても、何も知らない人にとっては恐れを抱くこともないであろう。
しかし、イエス様が強力に説教なさったことは神様を恐れなさいということだった。
ただ単に恐いからという理由ではない。
私たちを救い、愛してくださる方だから、尊く思って礼を尽くしなさいとおっしゃったのだ。
絶対に誤解してはならない。

先生が日本に来られた時、日本人の神様に対する認識観をご存じで、「神様こわい」と日本語で表現なさった。
しかし、よくよく考えてみると、神様に対する認識を正しく持ることができるようにするアクションだったのではないかと推察する。

多くの人たちが愛の神様を正しく知って、本当の意味で神様を恐れ、尊く思って礼を尽くすことを願う。

 

(*1) 잠언 1:7 여호와를 경외하는 것이 지식의 근본이거늘 미련한 자는 지혜와 훈계를 멸시하느니라 [개역개정]