野球の練習の中で得た1つのプレーの力

先日、毎月1~2回の定期練習に参加した。
その中で、1つのプレーの力についてキャプテンの発言から深い悟りを得たので共有したいと思う。

野球はたった一つのプレーで勝敗が決まることがある。
ホームラン一本で勝敗が決まることもあり、暴投一つで勝敗が決まることもある。
また、野球はたった一つのプレーで人々を感動の渦の中に巻き込むことがある。
満塁のピンチを強気のピッチングで三振で切り抜けたり、追い込まれた場面でサヨナラ逆転ホームランを打ったり、その一投一打が人の心を動かすことがある。

一方、珍プレーのような、たった一つのプレーで人々を笑顔にすることもある。
ボールがユニフォームの袖の中に入ってボールデッドとなったり、挟殺プレーで投げたボールがヘルメットに当たって生還したり、奇想天外なプレーで笑いが起こることもある。
そんな1つのプレーの力を今回の野球の練習では実感した。

今回の練習の中での実際に起こった(正確には起こした)プレーはこちら

キリスト教福音宣教会野球部の活動は真剣そのもの。
時に感動あり、笑いあり。
多くの人に野球の1つのプレーを通じて何か少しでもセンセーションを起こしたい!
そんな思いで今後も活動していきたいと思う。

聖書も野球も同じ!?文字通りの間違った解釈が滅亡を招く!?

近年、野球界では「フライボール革命」と言われる野球理論の転換なるモノが起こっている。
「フライボール革命」という言葉を知っている人は多いと思うが、その内容を詳しく知る人は少ないように思う。

バッティングにおいて、“フライボール”と言われるとどんなことが思い浮かぶだろうか?
その文字通りに解釈して、高く打ち上げることを思い浮かべるだろう。
高く打ち上げれば、フェンスを越えない限り、ノーバウンドで捕球されてアウトとなってしまう。
文字通りにフライボールを打つことと解釈し、行動するならば、それは革命ではなく滅亡だろう…

「フライボール革命」の発端はアメリカ、その中心となる考え方はバレルゾーンと呼ばれる打球速度158km以上・打球角度30~26度で打ち出せば得点に結びつく確率が高くなるというモノだ。
…ん?
打球角度が30度ならば、高く上がるフライではなくライナーではないか!しかも、打球速度が158kmということは強烈なライナー性の当たりではないか!
「フライボール革命」の実態は、易しく言うならば、「内野の頭を越す強いライナーを打て!」ということなのだ!

*理論上、物体を投射する場合の最適投射角度は、真空中での放物運動の場合には45度とされる。ここに空気抵抗などの要素が加わると数値は異なるのだが、ただ単純に遠くに飛ばすことだけを考えるのであれば打球角度はもう少し高いはずである。

さて、「フライボール革命」について、文字通りに捉えて勝手な解釈をしてしまえば滅亡を招いてしまうことは十分ご理解できたと思う。
この文字通りの解釈について、チョンミョンソク牧師は聖書の聖句を引用されながら聖書を正しく解くように教えてくださった。

ペテロの第二の手紙3章16節
彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。

この聖句の通り、聖書も野球も全く同じなのだ…
人の子が雲に乗ってくるという聖句を文字通りに信じて雲を見上げて待ち、その時が来たら天体が火で焼かれ(ペテロの第二の手紙3章10節、12節)、空中に引き上げられる(テサロニケ人への第一の手紙4章17節)という聖句を文字通りに信じて持ち物を全て捨ててミレニアムを迎えた人たちがいたことは承知の事実だ…

何事も正しく知らなければならない。
聖書も野球もその他のすべての分野においてもそうだ。
自分勝手に解釈をせず、正しく知ろうと努力することが大切であり、正しく教えてくれる人の話を聞かなければならないだろう。
自分の滅亡を招かないために…

中学の時に同じ野球チームだった仲間の突然の別れ

寝耳に水…
まさか同い年の野球仲間がこんなにも早く…

中学の野球チームの同窓会LINEに訃報が入った。
3年間共に汗を流した野球仲間が、仕事終わりに倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった、と。
中学卒業以来、一度も再会することができず、仲間の突然の別れを迎え、心苦しいばかりだ…

彼と共に野球をした中学時代を回想してみた。
当時は県下敵なし。
今なおチーム史上最高成績を収めた黄金世代。
死ぬほどキツかった練習を彼と共に乗り越えた日々を思うと涙が込み上げてくる…

私は摂理に来て、人生の生きる意味を知り、死後の世界について悟った時、切実に祈りを捧げた。
過去、自分と共に野球をした全ての仲間たちが救いを得られるように、と。
彼がその後どのような人生を歩んだのか、詳しくは分からないが、私の小さな祈りが天に届くことを切に願うばかりだ…

人は生まれて必ず死を迎える。
ただ早いか遅いかの違いがあるだけだ。
その生きている期間「何を食べて生きるかが問題ではない。どのように生きるかが問題だ。」というチョンミョンソク牧師の言葉が深く深く胸に刺さる。
義なる生き方をするようにと説き続けるチョンミョンソク牧師の教えに習って生きるならば、人生一生、霊魂永遠まで後悔がないだろう。

野球だけをして生きるならば本当に虚しい。
「野球だけの人生ではない」と謳う人は多いが、どのように生きるのかについて教えてくれる人は多くない。いや本当の意味では皆無に等しい。
人の人生、十人十色だが、生きる意味の根本は、やはり宗教にしか答えがないのだと痛感している…

自分が生きているということの貴さを今一度悟った。
この世に生を受け、今も生きて存在しているということがどれほど大きな神様の恵みなのか、感謝しても感謝しきれない。

彼の霊魂のために切に祈ります。
残されたご家族の今後の生には神様の恵みが満ち溢れますように…
ご冥福を心からお祈り致します…

哀悼の意で綴りました…