教会の野球メンバーで野球のトーナメントの大会に初参戦!

先日、教会の野球メンバーが集い、初めて野球のトーナメントの大会に出場した。
これまで教会の野球メンバーたちが心の中では願っていたけれども実現には至らなかった一つの夢が叶った瞬間だった。

決して教会から活動を制限されていた訳ではない。
むしろ教会からは「こんなにも野球ができるメンバーがいるのだから大会に出てみたら良いのでは?」と背中を押していただいていた。
今回、野球メンバー皆が決意を固めて、各々の仕事の状況を調整し、家庭の協力を得て、何とか実現するに至った。

大多数の人間が一つの心で物事を成すということは容易ではない。
各自の生活があり、各自の行くべき道があるからだ。
その中で9人以上のメンバーの心を集めて大会に出ていくこと、それ自体が非常に価値あることだと私は感じた。

大会当日、勝ち負けももちろん重要だが、「笑顔と感謝」というテーマで戦おうと皆で誓った。
勝っても笑顔と感謝を忘れたら負けだ。
負けても笑顔と感謝で試合をやり切ったなら勝ちだ。
そういって挑んだ。

結果はコールド負けだった。
実力の差というよりは練習不足だった。
正直、悔しかった。
しかし、テーマの通りに皆が終始笑顔を絶やさなかった。
各自が野球ができることに感謝し、また、根本者神様に心から感謝をした。

キリスト教福音宣教会に出会う前、勝ち負けにとことんこだわって野球をしていた頃をふと思い出した。
勝っても負けても、時が過ぎ去ればどこかに虚しさが残った。
自分の人生のベクトルが間違えば、どこまで行っても虚しさから抜け出すことはできない。
結局、自分の心霊が満たされて初めてその虚しさから抜け出すことができるわけだが、野球をするにしても何をするにしても「虚しくない」という境地にいられることが何より私にとっては感謝なことだった。

さて、今後の教会の野球メンバーたちの動向だが…
大会が終わった後、ミーティングを重ね、週に一度の練習も行なっている。
もっと素敵なプレーをしようと日々奮闘中だ!
悔しさをバネに、失敗を糧に、次に出る大会では勝利を目指す。
乞うご期待!

高校野球観戦から感じたこと@県大会決勝・甲子園一回戦

この夏、ある高校の県大会決勝と甲子園一回戦の様子を現地で直接観ることになった。

本題に入る前に…
私は自分の意図によってある高校を見ようとして現地に足を運んだわけではない。
天の導きによって観ることになったのだ。
県大会の決勝は奥さんのお父様が連れて行ってほしいということで行くことになり、甲子園は子どもたちを連れて行こうと思い、スケジュール調整をしたところ、その日程のその時間しかなかったのだが、そこにドンピシャでその高校の一回戦が重なり、行くことになったのだ。
自分の意向が一切入っていないことは火を見るよりも明らかであり、天の導きを感じるしかなかった。

さて、高校野球を現地で観たのは6年ぶりだった。
高校生が青春を白球にかける姿は本当に輝いていた。
一つ一つのプレーに拍手を送りたいほど感動した。
同時に、神様がこの世を作ってくださり、神様が野球という素晴らしい芸術を作ってくださったことを知らずに野球をやっていることに寂しさを感じた。

おそらくは信仰を持たない人たちにとって神様が野球を作ったなどと言えば何を馬鹿なことを言っているのか、となるに違いない。
しかし、野球というスポーツをプレーすればするほどにルールが出来すぎていることを感じるだろう。
2ストライクでもなく、4ストライクでもなく、3ストライクでアウト。
2アウトでもなく、4アウトでもなく、3アウトでチェンジ。
9人でプレー。(3×3)
9回。(3×3)
絶妙な3の数からなる野球の構造は人智を超えている。

運動芸術は神様が人間にくださったプレゼントだとチョンミョンソク牧師は教えてくださった。
本当にそうだと思う。
もしそのプレゼントがなかったらどうだろうか?
この世に運動・スポーツ・野球が無かったらどうだろうか?
人生、つまらないと思うのは私だけではないだろう。

県大会決勝でも甲子園1回戦でも、応援が素敵だった。
応援する文化が本当に素敵だと思った。
人を応援するということはその人の側(がわ)に立たないとできない。
妬み・嫉妬する世界ではなく、いつも一つになって応援する文化がもっと広がっていくならば、世界が平和になっていくだろうと心から思う。

試合はその高校がどちらも勝利した。
試合ではミスをいかに無くすかが明暗を分けることを深く悟った。
1点ビハインドで終盤を迎えた状況で同点弾が飛び出したが、その一球が試合を決めた。ピッチャーからしたら失投だった。
また、フォアボールでランナーを溜めて長打で逆転した。
余計なランナーを出すことは傷口を広げるようなことだ…
小さなミスかもしれない、でもそれが失点という大きな傷を負うことに繋がる。
森を燃やすほどの大きな火事も小さな火種から始まるという聖書の言葉通りだ。

高校野球はプロ野球の次に観戦者が多いという笹川スポーツ財団の調査結果(2018年)がある。
それだけ日本においては注目度が高い。
そんなにも注目を集める高校野球が担う役割は大きく大きい。
高校野球を通じて発信されるものも大きい。
そんな高校野球から、神様が作ってくださった野球の魅力がもっと伝わり、また野球のみならず、日本の様々な運動芸術・文化を引っ張っていく存在となってほしいと思う。

嬉しい気持ちもさることながら…

先日、またしても大事故に繋がりそうだったところ、神様が助けてくださった出来事があった。

私はバッティングマシンの導入に踏み切った。
この投資は決して安いものではなかったが、練習の効率化、そして、より効果的な指導方法を模索する中での決断だった。

届いて早速使用した。
今までは全て自分がバッティングボールを投げていたのだが、機械がやってくれるので、最高だ!と思って、とても嬉しい気持ちになっていた。
正直、半分浮かれたような気持ちだったと思う。

さて、一巡打ち終えたところで、マシンのボール受けにボールを補充していると、いきなり「カーン」という音が聞こえた…

本当に危なかった…

私は無防備でボールを補充していたところ、選手が思いっきり打ってしまったのだった…

ヘルメットもつけていなかった…

もし直撃していたら…

そう考えると身の毛がよだつ思いになった…

打球の方向は私のいる場所と逆の方向だったため、大事に至らなかった…

神様が守ってくださった!ということ以外に説明のしようがない。

私も選手もバッティングマシンでの練習は初めて、勝手が分かっていなかったのだから、全く咎めることはしなかった。
新しいモノを導入すれば嬉しい気持ちになるのは当然だが、やはり「一つのことだけを考えるな」という戒めはいつどんな時にでも心にとめておかなければならない。

再発防止のため、ボール補充の際には必ず電源を切ることとした。

 

人は本当に多くの失敗をする。
自分の不注意もあれば、不可抗力の場合もある。
いずれにせよ、ヒヤリ、ハッと体験は数えれば枚挙にいとまが無い。
今回のケースも同様、その全ての瞬間、神様が共にして助けてくださったということを私は信じて止まない。