野球は9回2アウトから。人生はもうダメだと思ったときから。

韓国のとある弁護士の話。
彼は高校2年生まで野球をしていたが自身の実力に限界を感じて引退を決意する。
しかしその時の学校での勉強の成績は1700人くらいの中でワースト10に入るほど。
そんな状況の中でも、決心をして、勉強に専念することに!
その後、弁護士になり、ご自身の経験を元に啓発本を書き上げるまでになった。

彼は自身の人生を通して、
「自分もどん底と言えるような状況から努力することで成功することができたのだから、あなたたちもできる」と希望のメッセージを伝えてくれている。

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さて、野球には「野球は9回2アウトから」という言葉がある。
この言葉は「たとえ9回2アウトまで負けていたとしても逆転することができる、あきらめるな!」ということであるし、
また「たとえ9回2アウトまで勝っていたとしても逆転負けすることもありうる、気をゆるめるな!」ということである。

私の個人的な考えであるが、
野球の一番の面白いところは、この9回2アウトという試合がもうすでに終わったと言えるような場面であっても何が起こるかわからない、逆転劇があり得るところだと思う。
言葉を少し変えるならば、万事休すと言えるような状況だとしても「覆す」ことのできるスポーツだから面白い!

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<行ない>によって、うまくいかなかったことを覆して成功することもある。

これは野球に限ったことではなく、
人生においても全く同じだと思う。

野球でいう9回2アウトのような、もうダメだと思ってあきらめたくなるような状況であったとしても、
チョンミョンソク牧師の言葉にあるように<行ない>によって「覆し」て成功することが可能だと思う。

これまでやってきたことがダメだと思えても、
他の道に行こうと思ったが現状行く先真っ暗だとしても、
<行ない>が「覆す」カギであるということは真理だ!

「行なおう、行なおう」
そう何度も自分に言い聞かせて<行ない>で状況を「覆す」!

そうやってこれから私自身人生を歩んでいきたい!

また、この記事を読んでくださった方も何かダメだと思い、あきらめたくなるような状況があるならば、チョンミョンソク牧師のヒトコトを力に前に進んでくだされば幸いである。

教会の野球チームで地元のソフトボール大会に参加

先日、教会の野球チームで地域のソフトボール大会に参加した。
地域のソフトボール大会は毎年行なわれており、今回は7チームが参加していた。

「天に栄光、地に平和」

聖書にも書いてある通り。
チョンミョンソク牧師はこの御言葉を運動・スポーツの中で実践するようにと教えてくださった。
私たちも今回のソフトボール大会ではスローガンとして掲げてプレーをした。

今回の大会に臨む前、各自がいつも以上に準備をした。
先月は毎週練習を積み重ね、皆の心を一つに祈りも捧げた。

そうして迎えた試合での結果は言うまでもない。
2戦2勝、両ゲームともコールドで勝利を収めた。

試合はトリプルヘッダーで組まれていたのだが、悪天候により、3試合目・決勝戦は中止となった。
延期、かと思われたが…
なんと、勝敗をくじ引きで決めるという…

決勝戦、両チーム9人が雨の中整列した。
審判が順に〇×の書かれたくじを選手に引かせた。
勝敗の行方は神のみぞ知る…笑

結果は…

負け…

準優勝となりました。

結果はどうであれ、今大会を通じて、地域の方々と交流することができ、教会と地域との繋がりを深めることができたことが大きなことではなかったかと思う。

我々の教会は社会と乖離した存在では決してない。
むしろ、社会の構成員として欠かすことのできない一員だという認識を持っていただきたい。

様々なスポーツ大会、特に、野球やソフトボール大会において、今後もキリスト教福音宣教会の野球部は積極的に参加し、共に作り、盛り上げていくつもりだ。
そして、より平和な社会を作っていけたら幸いである。

教会の野球メンバーで野球のトーナメントの大会に初参戦!

先日、教会の野球メンバーが集い、初めて野球のトーナメントの大会に出場した。
これまで教会の野球メンバーたちが心の中では願っていたけれども実現には至らなかった一つの夢が叶った瞬間だった。

決して教会から活動を制限されていた訳ではない。
むしろ教会からは「こんなにも野球ができるメンバーがいるのだから大会に出てみたら良いのでは?」と背中を押していただいていた。
今回、野球メンバー皆が決意を固めて、各々の仕事の状況を調整し、家庭の協力を得て、何とか実現するに至った。

大多数の人間が一つの心で物事を成すということは容易ではない。
各自の生活があり、各自の行くべき道があるからだ。
その中で9人以上のメンバーの心を集めて大会に出ていくこと、それ自体が非常に価値あることだと私は感じた。

大会当日、勝ち負けももちろん重要だが、「笑顔と感謝」というテーマで戦おうと皆で誓った。
勝っても笑顔と感謝を忘れたら負けだ。
負けても笑顔と感謝で試合をやり切ったなら勝ちだ。
そういって挑んだ。

結果はコールド負けだった。
実力の差というよりは練習不足だった。
正直、悔しかった。
しかし、テーマの通りに皆が終始笑顔を絶やさなかった。
各自が野球ができることに感謝し、また、根本者神様に心から感謝をした。

キリスト教福音宣教会に出会う前、勝ち負けにとことんこだわって野球をしていた頃をふと思い出した。
勝っても負けても、時が過ぎ去ればどこかに虚しさが残った。
自分の人生のベクトルが間違えば、どこまで行っても虚しさから抜け出すことはできない。
結局、自分の心霊が満たされて初めてその虚しさから抜け出すことができるわけだが、野球をするにしても何をするにしても「虚しくない」という境地にいられることが何より私にとっては感謝なことだった。

さて、今後の教会の野球メンバーたちの動向だが…
大会が終わった後、ミーティングを重ね、週に一度の練習も行なっている。
もっと素敵なプレーをしようと日々奮闘中だ!
悔しさをバネに、失敗を糧に、次に出る大会では勝利を目指す。
乞うご期待!

高校野球観戦から感じたこと@県大会決勝・甲子園一回戦

この夏、ある高校の県大会決勝と甲子園一回戦の様子を現地で直接観ることになった。

本題に入る前に…
私は自分の意図によってある高校を見ようとして現地に足を運んだわけではない。
天の導きによって観ることになったのだ。
県大会の決勝は奥さんのお父様が連れて行ってほしいということで行くことになり、甲子園は子どもたちを連れて行こうと思い、スケジュール調整をしたところ、その日程のその時間しかなかったのだが、そこにドンピシャでその高校の一回戦が重なり、行くことになったのだ。
自分の意向が一切入っていないことは火を見るよりも明らかであり、天の導きを感じるしかなかった。

さて、高校野球を現地で観たのは6年ぶりだった。
高校生が青春を白球にかける姿は本当に輝いていた。
一つ一つのプレーに拍手を送りたいほど感動した。
同時に、神様がこの世を作ってくださり、神様が野球という素晴らしい芸術を作ってくださったことを知らずに野球をやっていることに寂しさを感じた。

おそらくは信仰を持たない人たちにとって神様が野球を作ったなどと言えば何を馬鹿なことを言っているのか、となるに違いない。
しかし、野球というスポーツをプレーすればするほどにルールが出来すぎていることを感じるだろう。
2ストライクでもなく、4ストライクでもなく、3ストライクでアウト。
2アウトでもなく、4アウトでもなく、3アウトでチェンジ。
9人でプレー。(3×3)
9回。(3×3)
絶妙な3の数からなる野球の構造は人智を超えている。

運動芸術は神様が人間にくださったプレゼントだとチョンミョンソク牧師は教えてくださった。
本当にそうだと思う。
もしそのプレゼントがなかったらどうだろうか?
この世に運動・スポーツ・野球が無かったらどうだろうか?
人生、つまらないと思うのは私だけではないだろう。

県大会決勝でも甲子園1回戦でも、応援が素敵だった。
応援する文化が本当に素敵だと思った。
人を応援するということはその人の側(がわ)に立たないとできない。
妬み・嫉妬する世界ではなく、いつも一つになって応援する文化がもっと広がっていくならば、世界が平和になっていくだろうと心から思う。

試合はその高校がどちらも勝利した。
試合ではミスをいかに無くすかが明暗を分けることを深く悟った。
1点ビハインドで終盤を迎えた状況で同点弾が飛び出したが、その一球が試合を決めた。ピッチャーからしたら失投だった。
また、フォアボールでランナーを溜めて長打で逆転した。
余計なランナーを出すことは傷口を広げるようなことだ…
小さなミスかもしれない、でもそれが失点という大きな傷を負うことに繋がる。
森を燃やすほどの大きな火事も小さな火種から始まるという聖書の言葉通りだ。

高校野球はプロ野球の次に観戦者が多いという笹川スポーツ財団の調査結果(2018年)がある。
それだけ日本においては注目度が高い。
そんなにも注目を集める高校野球が担う役割は大きく大きい。
高校野球を通じて発信されるものも大きい。
そんな高校野球から、神様が作ってくださった野球の魅力がもっと伝わり、また野球のみならず、日本の様々な運動芸術・文化を引っ張っていく存在となってほしいと思う。