新しいスーツの購入

今日は旧暦の正月(旧暦の1月1日)だ。
アジア圏では旧暦に合わせて行事を行なう国が多い。
韓国もこの日は祝日であり、今年は4連休となった。

今日、私は新しいスーツを購入した。
スーツを買うという考えは私の中には全くなかったが、霊肉新しくという天の方向に導かれるようにして新調することにした。
礼拝で着ることを考え、明るめの茶色を選択した。
早速、今週の日曜日(オンラインでの礼拝)で着てみようと思う。

 

韓国には옷이 날개다(服は翼だ;馬子にも衣装)ということわざがある。
服が良ければ、その人物の見栄えがするという意味だが、服で格好をつけるということではなく、内面も外面も備えるべきものは備える必要があるのではないかと思う。
もちろん、外面を整えた分だけ、それに見合った内面も備えられるように努力していかなければならないと思う。

翼を大きく羽ばたかせて世界を飛び回るあの鳥のように、新たなスーツを着て世界を変えていける大きな人物になれるよう努力していきたいと思う。

【扉を開けるカギ】野球選手を教育していく最高の方法(チョンミョンソク牧師のコーチング)

【扉を開けるカギ】の第10話はある野球の指導者の話。

彼は野球の指導者として選手を教育しながら、日々考え、悩み、研究し、努力して選手の育成方法を模索していた。
毎日の練習前には必ず深い祈りを捧げ、天の御心を野球を通して実現したいと哀願していた。

そんな中、チョンミョンソク牧師は彼に最高の教育方法を伝授してくださった!

この教育方法で今後多くの素敵な野球選手たちを輩出することができるだろう!!

先生はヒトコトでこのようにおっしゃった。

“최고 뼛속 깊이 뇌 속에 박히는 교육은 직접 겪어 보게 하는 교육이다.”
“最高に骨の髄に、脳の中に入る教育は、直接身をもって経験するようにさせる教育だ。”

 

直接身をもって経験するようにさせる教育。
これが野球選手を教育していく上で最高の方法だ!

いくらたくさん講義を聞き、ノートにメモを取りながら学んだとしても、すぐに記憶から消えてしまう。
一方、直接身をもって経験したことは忘れにくい。
経験を積ませることが答えだということだ!

彼の下(もと)から多くの素敵な野球選手たちが輩出されることを期待するばかりだ。

主人の目で見ること

野球の練習を終え、片づけをしながら失くしたボール一個を見つけ出すことが出来なくて、監督から「見つけるまで帰れないぞ!」と言われたことはないだろうか?
その時、「ボール一個くらい…」と心の中で思ったことはないだろうか?(正直、幼かった私はボール一個くらいいいじゃないかと思ったことがある。)

タイトルの通り、主人の目で“ボール”を見たらどうだろうか?
自分がお金を出してその“ボール”を買った主人だったならばボール一個だったとしても探さないだろうか?

 

先生は「ボールを命と思いなさい。」と教えてくださった。
ボールは命、天下を与えられても代えることのできない命だったならば一個くらいいいやという思いには絶対にならないはずだ…

 

マタイによる福音書18章12節
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。

読者の皆さんはどう思うだろうか…
私は聖書を読み進めて間もない頃、この箇所が腑に落ちなかった。
その後、数年間、摂理で御言葉を学んできたが、正直、この箇所については心の奥底からアーメンと言える解を得られていなかった…
しかし今日、ハッキリとたった一匹のために九十九匹を残して探すということがどういうことなのか悟ることができた!
主人の目で“羊”を見るとその真意を理解できるようになった!

仮に、自分が一匹一匹の“羊”を心から愛している羊の主人だったらどうだろうか?
その一匹一匹の“羊”を遠くから買って連れてきた経緯がある。
その一匹一匹の“羊”との思い出があり、情が移っている。
そんな“羊”が一匹だとしてもいなくなってしまったならば大騒ぎだろう…
何としてでも、九十九匹を残してまでも、探しに出かけるだろう!

 

マタイによる福音書18章10~14節
あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

ここで“羊”は比喩であり、人の命のこと。

マタイによる福音書16章26節
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

命を神様の目で見たとき、当然、その人一人だったとしても、絶対にその命が損なわれてはならない。

命はもちろんのこと、その他多くの環境や物質など全てのことを主人の目で見る、すなわち、神様の目で見ることができるようにしていきたいと思う。
本当に貴重なモノを貴重に見ることができるように…