久しぶりの断食

昨日、久しぶりに断食をした。
胃腸を休ませるため、そして、自分の人生に深く向き合うためにした。

断食をすれば、体力が一時的に落ちてしまうが、断食して得られるメリットが多いため決行した。

今回、食べないことを通して、食べられず飢えて死んでしまう人たちの心情を察した。
空腹で寝床につくとき「ああ、こうして食べられずに生きる力を失って亡くなっていくのだな…」と悟った…
恵まれた社会の中で生きられることが本当に幸せなことだと悟り、神様に感謝した。

 

過ぎた日の経緯を考えながら、自分の今後の人生について考えた。
進路の悩みが人生の一番の悩みだが、先のことはいくら悩んでもキリがない…
(もちろん長期的なプランを立てながら今を計画的に過ごすことが大切だ。先のことばかりを憂うなという意味。)
今自分のいる位置で最善を尽くすことが、今自分が本当の意味で集中すべきことだという結論に至った。

先生は『今が重要だ』という曲を作ってくださった。
「今していることを心と思いと命を尽くして気を引き締めて上手くやらないといけない」という歌詞があるが、結局、どんなに良い将来のプランがあったとしても、今どのようにするかによって変わってくるということに気づいた…

 

空腹を経て口にした奥さんの味噌汁が最高に美味しかった。
(断食経験がない人は断食後の空腹に耐えきれず一気に食べてしまうことがある。一番危険な行為。胃に易しいものを少しずつ、よくかみ砕いて食べて、段階を経て元の食事に戻さなければならない。)
家庭があって、食を共にする時間も本当に尊い時間だと悟った。

 

自分の中で失っていたモノ

今日は主日礼拝だった。
御言葉の中で「自分の中で失ったモノがある」とおっしゃったことが特に突き刺さった。

「過ぎた日の経緯を忘れるな」と先生は頻繁におっしゃってくださっていたが、様々な“経緯”を私は失い、忘れて生きていたことを悟った。

 

経緯…
自分がどのような過程を経て今現在に至るのかを回想してみた…
特に祖国を離れて野球で生計を立てるようになるまでに労苦した日々のことを…

神様を信じて愛して生きているからと言って無条件良くなり栄えていくわけではない。
「努力」という責任は果たさないといけない。
それも並大抵の努力ではなく、先生がおっしゃるように、心と思いと命を尽くす努力だ。

ここ数日、現状に対する不平不満が出てきていた。
感謝したくてもできなかった。
問題の答えはやはり御言葉にあった。
忘れていた経緯を思い出したら感謝する考えに転換し始めた。

そして「言うべきことは言わないといけない」とコーチをしてくださった。
不平不満を抱えているのではなく、正当に主張するべきことは言わなければならないことを悟った。

 

やはり御言葉。
人生の問題にぶち当たった時、御言葉の中にその答えが入っている。
御言葉を通して答えを得る体験が連続するとき、御言葉が今生きて働かれる神様の言葉だということを認めるしかない。
摂理で御言葉を聞いて問題の答えを得てきたその経緯も忘れることなく生きていきたい。

プロ野球選手たちのキャンプインに伴って

プロ野球選手たちがキャンプインしたことを知らせるニュースを今週たくさん見聞きした。
試合・リーグ戦への準備がいよいよ本格的に始まったわけだ。

我がチームも、プロ野球選手たちと同様に、本格的に試合に向けた準備を開始した。
練習場所を温かいところへ移したいが、コロナによってできず、普段練習している場所で新たな段階に移行することになった。

11月に試合が終わってから約3カ月の間、一切試合をしていない。
すべての選手が試合から離れて長い時間が経過しているため、試合に対する感覚がかなり落ちている。
ゆえにキャンプで試合に対する感覚を取り戻すことができるようにするのだ。

特に気を遣うことは投手の調整だ。
フォームの改造に取り組む時期は終わり、捕手を座らせ、打者も立たせてのピッチングを始めた。
少し早いかもしれないが、2月下旬には練習試合が始まるため、少しずつピッチを上げることが必要だと思っている。

試合はコロナの状況でどのようになるかは分からないが、例年通りに開催されるとなると3月初旬には大会がスタートする。
残り1カ月を切っている。
チームの士気を高め、試合に向けた準備を着実に進めていきたいと思う。