自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)の見極め方

野球をしながら「自分にピッタリ合う監督やコーチに出会いたいなぁ」という思いを抱いたことはないだろうか?
名監督・名コーチの助言によって野球人生が劇的に変化した話を聞くと、自分もそのような人に出会い、指導を仰ぎたいと思うだろう。

今日は『自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)の見極め方』を紹介したいと思う。

 

まず初めに、「指導」という言葉の意味をしっかりと共通認識できるように抑えておきたい。

・指導(しどう)
ある目的・方向に向かって教え導くこと。
出典:デジタル大辞泉

指導という言葉を使う場合には、“ある”目的・方向が前提にあることを覚えておいてほしい。
また、“ある”目的・方向に向かって教え導く人を指導者とここでは言うことにする。

 

さて、本題に移りたいと思う。

自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)の見極め方は決して難しくはないが、易しくはない。
一見矛盾する言い回しだが、順を追って説明する。

「自分にピッタリ合う」という時には2つのことを考えなければならない。

1つ目は、“ある”目的・方向に向かって教え導く人を指導者と言ったが、その“ある”の部分が一致するかどうかということだ。
自分の目的・方向と指導者(監督・コーチ)の目的・方向が同じでなければ自分には合わない。
例えば、自分は甲子園に出ることを目的としているとしよう。
しかし、指導者(監督・コーチ)が選手の育成を目的としており、甲子園に出ることには全く興味がないとしたらどうだろうか?
自分にピッタリと合うはずがないだろう。
指導者(監督・コーチ)の目的・方向をしっかりと知ることが自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)を見極わめる大前提だ。
この目的・方向の一致はそれほど難しい課題ではないと思う。

しかし、2つ目だ。
2つ目は目的・方向は同じだが、指導のやり方(方法論)が自分にピッタリ合うかどうか、ということだ。
指導者(監督・コーチ)の目的・方向を知り、その指導者を選択したとしよう。
しかし、その目的を成し遂げ、その方向へと進んでいく方法は数万種類あるため、指導のやり方が自分にピッタリ合わないこともあり得る。
例えば、スイングスピードを上げるための方法はいくつもある。
自分が選んだ指導者(監督・コーチ)はとにかく素振りばかりをたくさんやらせる方法を採用していた。
来る日も来る日も素振り。
たくさん振ることに不満はないが、ティーをしたり、バッティングをしたりしながら、たくさん振る方法を採用した方が良いと内心は思っていた。
目的は成し遂げられるがその過程で耐え難い苦痛を経験するならば、自分にピッタリ合うとは言えないだろう。

また、もう一つの例えを紹介する。
甲子園に出ることが目的で、甲子園に出ることを目的とする指導者(監督・コーチ)を訪ねたとする。
その指導者(監督・コーチ)は特定の選手だけを育て、起用し、甲子園出場を勝ち取るという方法を採用していた。
幸いにも自分は育てていただき、甲子園に出場する目的を成し遂げることができたのだが、性に合わない感情が残ることになった。
つまり、倫理的、道徳的な部分でも合わなければならない。
易しくないと表現した理由がここにあるのだ。

 

自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)の見極め方と題して話を進めてきたが、ここからは自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)を見極めることも大事だが、もっと根本的に大事な部分について論じて幕を閉じたいと思う。

その根本的に大事な部分とは「目的」に関する話だ。
自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)を見極め、そして出会ったとしても、その目的を達成できるかどうかは別の問題となる。

目的が無くなる、あるいは失敗によって目的が達成されなかった場合、どのように考えるだろうか?
例えば、甲子園に出ることを目的として、甲子園に出ることを目的とする指導者(監督・コーチ)を訪ねた。
指導の方法も、倫理的、道徳的にも自分にピッタリ合っていた。
しかし、コロナによって甲子園大会が無くなった。
目的自体が損なわれてしまった。
この場合、自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)を見極めることができたと言えるだろうか?
また、地方大会で惜しくも敗退した。
この場合、自分にピッタリ合う野球の指導者(監督・コーチ)を見極めることができたと言えるだろうか?

この目的の設定に関しては、正解はないと思う。
人生の価値観は人それぞれ。
何を目的にして野球をしているのかは、野球をしているすべての人が同じではないと思う。
しかし、少なくとも、自分の最終的な目的・方向は外的な要因に左右されないところに設定することをおススメしたい。
結果的に目的が達成されなかった場合に虚無に陥らないために…

この最終的な目的・方向をどのように設定したら良いのだろうか?
結局のところ、生きる目的の設定に辿り着くと思う。
そして、野球の指導者を超えて、自分にピッタリ合う人生の指導者を探すに至るようになると思う。

「野球だけの人生で終わってほしくない」
この思いは最近一層強く抱くようになった。
そのような人生の指導者に出会えるよう心から祈るばかりだ…

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