野球離れに歯止めをかけるためにできる1つのこと

最近は野球離れに歯止めをかけるために、私に何かできることはないだろうかと考えている。
最近文章を書いていなかったことを思い出し、とにかく書き始めたところ、不図した1つの考えが浮かんできた。

「野球がいくら好きだとしても、日常の中で“余裕”がなければ野球から離れてしまうのだなぁ…」

多忙な日常の中で、私自身が野球から遠のいていることを悟った。

野球は文化・芸術という分野に位置づけられる。
文化・芸術は、人が生きていく中で、必ずしなければならないことではない。
究極的な表現をすれば、しても良いし、しなくても良い。

もちろん、文化・芸術の様々なことは、すればするほどに多種多様な人生を歩むことができるようにしてくれる。
ゆえに、多くの人たちがその世界に陶酔する。
しかし、その性質を忘れてしまうと、根本的な問題の中へと吸い込まれてしまう…

野球というものをどのように捉えるかは人それぞれの価値観だが、根本的にはしなくても良いものだ。
日常の中で時間的、経済的、精神的な“余裕”がなければしなくなるからだ。

コロナによって経済的に苦しくなった家計において、削る選択肢として最初に上がってくるのが文化・芸術に関する部分の出費だ。
生活費を削ってまで文化・芸術、野球・スポーツを続けられる人はいないだろう。
しなくても良いものという表現の所以がここにある。
もちろんコロナウイルス自体によって活動自粛などを強いられ野球離れに拍車がかかったこともあるが、この経済的な“余裕”が無くなったことが根本的な問題だと思う。

時間的、経済的、さらには精神的に豊かな社会が文化・芸術の世界を発展させてきたことは誰も否定しないだろう。
野球ひとつをとってもそうだ。

野球離れが進んでいるという今日の現象は、指導者の問題や遊び場の減少の問題などが議論の的になっているが、根本的には社会の問題が大きく絡んでいると思う。

私は「野球離れに歯止めをかけるためにできる1つのこと」を思いついた。
それは、どんなことがあったとしても、何があったとしても、自分が野球から離れないことだ。
今、野球離れに歯止めをかけようと様々な活動をする人たちがいる。
私もその一員として心から皆を応援し、またその活動が大きな実を実らせることを祈る。

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