自分の出番が来たら…

今日は日曜日、主日礼拝をオンラインで捧げた。
先生は今日も変わることなく全世界に向けて神様の御言葉を伝えてくださった。

今日は「時」について伝道の書3章を参照しながら教えてくださった。
特に記憶に残っている御言葉は「時が来たら与件が良くなかったとしても「時」だけ見て強く動かないといけない。動けば神様が行なってくださる」という内容の御言葉。

 

野球に落とし込んで考えてみた。
監督が「明日先発で行くぞ!」と言われたらどうするだろうか?
あるいは試合中に「次、代打行くぞ!」と言われたらどうするだろうか?
自分の出番が来たわけだが、アタフタして「え、無理です…」などと言えるだろうか?
自分の出番、すなわち自分の時が来たら置かれている状況がどうであろうと突き進んでいかなければその時・機会を掴むことはできない。
このようにこうだということだ。

 

神様の時はどのようにしたら分かるだろうか?
神様の御言葉の中で知ることができるのだ。
大局的な時代の流れ、歴史という壮大なスケールを誰がどうやって完全に俯瞰することが可能だろうか?
神様の御言葉でのみ、その「時」を掴むことができるのだ。

時は機会だ。時を逃したらできない。
(2021年1月17日主日の御言葉)

アーメン。

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