野球と人生

タイトル「野球と人生」

 

好きで始めた野球。

楽しいはずの野球。

 

しかし…

 

過酷な練習と「勝利」という二文字への執着心が
自分を日ごとに追い込んでいった…

 

 

ある時は
うまくプレーできない自分を責めて泣いた…

 

ある時は
試合に負けて手に持っていた野球のメモを地面に叩きつけた…

 

またある時は
現実逃避のために一日中パチンコ台の前で過ごした…

 

 

好きで始めた野球なのに…

楽しいはずの野球なのに…

 

 

野球が嫌いになっていた…

 

 

この世の中に野球なんて無かったら良かったのにと思ったこともあった…

 

 

 

「野球をやっていなかったら僕の人生はどうなっていたのかなぁ?」

 

そんな考えが浮かぶ度に
自分の魂の叫びに蓋をするかのようにこう続けた。

 

「努力は報われる!」

 

しかし、
魂の叫びはこう答える。

 

「いつ報われるのか?」

「誰が報いてくれるのか?」

「どんな形で報われるのか?」

 

でも結局は
「努力は報われる!」と信じて
野球を続けていたのであった…

 

 

 

野球にピリオドを打ったのは大学4年生の時。

 

試合での大失策を経験したことと、
部長から進学を進めてもらったことをきっかけに、
選手としては踏ん切りをつけた。

 

 

その時以来、
野球に向けてきたすべてのエネルギーを
勉強に費やすようになった。

 

 

「もう選手として野球をしないならば
やりたくないしやる価値もない」

 

そう考えて
自分の過去をすべて埋めた。

 

野球には未練はない。

 

実際は未練しかなかったが…

 

 

 

摂理に出会って少し経った時のことだ。

 

ふと思い立って野球場に足を運んだ。

 

ちょうど中学生たちが試合をしていた時だった。

 

試合を見ながら
いつしか過去の自分を回想していた。

 

 

 

その時…

 

 

なぜ自分が野球をしてきた中で苦しかったのかを悟った。

 

 

「摂理に出会ったことが答えだ」

 

 

摂理に出会って鄭明析牧師から
「スポーツとは何か?」について学ぶようになった。

 

 

スポーツは神様に栄光を帰す芸術だ。

 

相手のチームに勝とうとするより
平和と健康のために走り、
相手の選手とボールを恋人のように考えること。

 

この鄭明析牧師の教えをもとに
摂理で野球を再びするようになったのだが…

野球が楽しくて楽しくてしょうがないのだ!

文章では表現のしようがない楽しさ!!

 

「やりたくないしやる価値もない」という考えは
当然のごとく跡形もなく消えた!

 

これが野球の目指すところではないかと悟った!

 

 

過去、野球で平和が成されている場面など
一度も見たことがなかった。

 

眉間にしわを寄せて
相手にガンを飛ばして
ミスをしたら野次を飛ばして
デッドボールを受けようものなら乱闘をして…

 

 

 

この世のどこの誰がどのようにして
スポーツを通して世界を平和にすることができるだろうか?

 

マタイによる福音書5章9節
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。  

 

ルカによる福音書2章14節
「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。 

 

相手のチームに勝とうとするより
平和と健康のために走り、
相手の選手とボールを恋人のように考えること。

今後もこの鄭明析牧師の教えをもって
神様に栄光を帰しながら
野球を通して平和を成していきたいと思う。

 

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