摂理に出会ってからの7年・・・

今日は私にとって特別な日です。

ちょうど7年前のこの日(12月9日)、
私は初めて摂理の礼拝に参加しました。

その日の御言葉はどんな御言葉だったかなぁと振り返ってみたのですが、
“私”という人間の価値を完全に回復させてくださった御言葉でした。

その御言葉は「同じ万物も人も、使う人の方法、それひとつによって運命が決まってしまう。」でした。

「同じ一本の松の木」も、使う人の考えと思考によって、使う人の方法通りに使われます。
もしこの松の木がきこりにかかれば、「薪」として使われます。
もしこの松の木が先生のような盆栽の専門家にかかれば、根こそぎ掘っていって尊く手入れをしてあげるので、死ぬときまで「作品」として使われます。

自分はどんな姿なのか、自分自身を見直しなさい。
自分を見て無条件、「大したものではない。」と言うな。

あなたたち自身の人生も、尊いのに正しく見ることができずにいる。
今日の御言葉を聞いて見直しなさい。

巨木の人生を切るな。
石、木など、様々な万物も人も、ただ私御子の計画通りに使うように、私に委ね、私の方法通りにしよう。
万物の価値も人の価値も、あなたたちは知らない。
それに対する鑑定はただ命の救い主である私御子がする。

 

私が最高に気分を害する時があります。
それは、自分のことを価値なく思われていたり使われていると感じたりする時です。

そんな“私”が“私”を見る時に「取るに足りない人、捨てるしかない・使い道のない人だ」と思ってしまっていたので非常事態でした。

今のままでは絶対にいけない、変わりたい、新しい世界がないものか?と切なる思いで生活をしていましたが、
実際にどうしていいのか、何をしたらいいのか全く分からずにさまよっていました。

アモス書8章11~12節
主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。

そんな中、御言葉に出会い、摂理に出会い、最初に受け取ったメッセージがこの御言葉でした!

(その当時の私の状況は『はじめに』をご参考ください)

私の人生を価値あるように考え、尊く使っていけるように神様が導いてくださったのです!!

この日から毎日御言葉を聞きながら7年という長い歳月が経ちました。

7年間を回想してみると…日をまたぐ研究生活、国際交流、留学、海外就職、結婚、単身赴任…etc
本当に様々なことがありました…

そしてこの7年の間に、私の人生の中でも特にショッキングなことが2つも起こりました。

(今回赤裸々に書こうと思うのですが、この文章の目的は、私の人生をみなさんに分かってほしいということではなく、摂理で信仰生活を送りながら、どんな人生の問題にぶち当たったとしても、祈るといつも神様が助けて導いてくださったということ、先生が御言葉で答えをくださって根本的な解決ができるように導いてくだったということを証することです。ご理解いただき読んでいただけたら幸いです。)

 

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一つは父親がガンを患ったことです。
脇や首に違和感を感じて病院に行ったところ、リンパ節のガンだと診断を受けたそうです。

父親は私に心配をかけまいと詳しい状況は知らせてくれませんでしたが、
母親が私と2人きりになったタイミングでお父さんがガンだと教えてくれました。

その時、私は母親に神様を信じていることを告白し、
お父さんを必ず治してくれるから一緒にお祈りしようと言って、
お父さんが治るように神様にお祈りを捧げました。

また、先生にも父親のためにお祈りしていただきたいと依頼をしました。

 

結果…

 

治療はうまくいって、無事に完治しました!

治ってすぐに父親とボーリング・卓球をしたのですが、
健康な身体に戻って元気にスポーツをしている父親の姿を見て、神様に心から感謝しました!
ハレルヤ!!

使徒行伝16章31節
ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。

 

 

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もう一つは妹が事故で亡くなったことです。

亡くなったという知らせを聞いて、私は病院に直行しました。
信じられませんでした。

幅4,5メートルくらいの比較的浅めの川に車ごと落ちてしまったと…
事故の正確な原因は今も分かっていません…

妹の体にはキズ一つ付いていませんでした。
神様が最大限助けようとしてくださったんじゃないかと思うのですが…

人間の責任分担を果たせなければ事故は起こりえるので、
もしかしたら本人に何かあったのかもしれません…

 

家族のために切実に祈ってこれなかった自分を責めました。
とにかく何が何でも妹の霊の救いだけは、と思い、祈りました。
(教会のみなさんも心を込めて祈ってくださいました…感謝します…)

 

両親にも妹のために祈ろうと勧めましたが、
両親は気が気じゃなく、(当然そうですよね…)
聞いてくれませんでした…

それどころか父親は声を張り上げ「結局信じても何にも助けてくれないじゃないか!」と捨て台詞を言ったので、
私の口からはもうそれ以上なにも言えなくなりました…
(両親はある宗教の信者でした…)

両親は本当に辛い思いをしたと思います…

 

その後、歳月が過ぎ、私は結婚の祝福を受けました!
さらには、娘も授かるようになりました!!

娘には神様が名前をつけてくださいとお祈りをして、来た感動の通りに名前を付けました。
(もちろん奥さんとも相談をしました。)

母親からラインが来ました。
「名前、考えてつけてくれたんだね、ありがとう」と。

娘の名前の漢字一字が妹と同じだったため、
母親は気遣ってくれたことに感謝するラインを送って来たのでした。
(私は正直のことろそこまで考えていませんでした)

命の祝福をしてくだり、両親の空いた穴を埋めてくださる神様の愛だと確信します!!

 

この記事を書きながら、ヨブ記に登場する中心人物・ヨブの生が思い出されました。

義人(神様を信じ愛する人)だとしても困難・患難に会う。
しかし、困難・患難の中でも変わらず神様を信じて愛するならば、
神様は困難・患難の後にこれまで以上の祝福を注いでくださる。

まさにヨブのような歴史が私にも起こったのだと思っています。

もちろん過去のキズは残ります。
でもそのキズを、完全に、十二分に、祝福で覆ってくださる神様であるということを私は確信します!!

 

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様々なことがあった7年間でしたが、
どんな人生の問題にぶち当たったとしても、
祈るといつも神様が助けて導いてくださったし、
御言葉で答えをくださって根本的な解決ができるように導いてくださいました!

過去の歴史を見たとき、人間自らはいつも根本的な答えを見つけられず、根本的な疑問を解くことができなかった。
ただメシヤが来たとき根本的な答えを見つけ、疑問全体が解けた。

人々はそれなりに答えを探し回るけれども、メシヤに会うまではみんな疑問に閉じ込められている。

私は摂理に来てから一度も問題に閉じ込められた状態で生活したことはありません!

もちろん様々な問題にぶつかりはしました。
進路の問題、家族の問題、結婚の問題などなど…

しかし、その都度、先生は御言葉で答えをくださいました!
また、祈ることで神様が様々に働きかけて下さり解決できるように導いてくださいました!!

これからの人生もそうであると私は信じます。

 

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摂理で生きるこれからの人生、本当に楽しみです。

7年間の総決算として書かせていただきました。

最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

学んでこそ、教えられる~野球の指導をしながら~

久しぶりの投稿になりました。

本格的にシーズン入りしましたね、野球。
国内外の野球のニュースが毎日飛び込んでくるようになりました。

僕もとても忙しくなってきました。
毎週のように大会・試合です^^;
嬉しい忙しさではありますがね^^


*韓国・大田(テジョン)にあるイーグルスパーク

 

さて、野球の指導者をしながらいろんなことを考えるわけですけれども、
今日は指導者とはどうあるべきかということについて、一つ「学ぶ」ということに焦点を定めて書きたいと思います。

 

指導者によって選手の運命が左右される…

これは、本当にそうです。
もし指導者が間違ったことを教えてしまうのならば、
その選手の選手生命を奪ってしまいかねません…

何が合っていて、何が間違っているのかについては、
様々な理論があるので一概にこうだと言い難い部分があることは否めませんが、
一つ言えることは、「学んでこそ、教えられる」ということです。

指導者が一番学ばないといけません。
様々な理論もそうだし、身体のこと、その選手のことも。

選手は指導者からしか学べません。
なので、指導者の力量以上に上がることは残念ながらできません。

 

指導者が本当に学ばないといけない。

 

僕が日々戦っていることはこのことです。

本当に今の指導でいいのか?

 

全然分からないときがあります。
だから学びます。
野球の理論ももちろんですが、身体のこと選手との接し方については特に力を入れて学びます。
なぜか?
理論だけがあっても、その理論を実践する身体のことを知らなければ話にならないし、
いくら正しい理論を言うとしても、選手との接し方を間違うとその理論を選手が拒んでしまうからです。

 

学ぶことをしない人は、ある種の高慢状態にあると個人的には思います。
学ぶことをやめる時は指導者を降りた時だと、そういう覚悟でいます。

選手の運命がかかっている。

 

その人の運命がかかっている。
そう考えてこれまで指導してくださった先生のように、
自分もその人の運命を担う位置にいるということを考えながら今後も指導していきたいと思います。

鄭明析牧師のもの凄い哲学

鄭明析牧師の生き様の裏側にはもの凄い哲学があり、
鄭明析牧師の箴言を見てみるとその一様を見てとることができる。

人生、すばらしく作ることに終わりはない。
70歳を超えてもなお、自分を作り続け、発展し続けている鄭明析牧師。
日々新しい歌、詩、様々な作品を生み出す姿を見ながら、本当に終わりがないと思わざるを得ない。
自分も、日々、挑戦!

開発したら、地獄の環境も天国の環境になる。
田舎、電気も通っておらず、何もなかった月明洞を全世界の人たちが集まる聖殿に開発されたことが一番大きなしるし。
自分の環境についてああだこうだと不平不満を漏らすのではなく、天国の環境に作ってしまう精神を持ちたいものだ!

最も尊い奇跡とは何か?
あなたの心が行ないが変化することだ。

人々は「奇跡」というと、何か空からお金が降ってくるような、そういうモノを描く。
ましてや、神様!となれば…
けれどもそうではなく、心と行ないの変化が最も尊い奇跡なんだと。
確かに、人の心と行ないが変化するのは本当に難しい。
自分ひとりをとってみても…
自分の心と行ないを変化させる奇跡を毎日起こしていこう!