日記
ボールにサインすることを通して

ボールにサインすることを通して

昨日の練習で新球を出した。
一年に1,2回、一回に200球近くを出す。
大会前に新球で練習をして一層試合に備えようという狙いがある。

新球を出す時には、ボールを区別できるように、チームの名前をサインペンで書くようにしている。
2文字だけ書けば良いのだが、200球に一球一球書くとなると、想像以上に時間と労力がかかる。

こういう作業をすると、いつも先生の実践が考えに浮かぶ。
これまでに先生が書いてくださったサインの量が半端なく多い。
受け取った時には本当に喜ばしいが、それ以上に、そのサインに込められたメッセージの深さとその背後にある先生の労苦に感謝・感激、感嘆するしかない。

先日、「どこでも神様、聖霊様、主と祈りと対話だ。」とサインをしてくださった。
生活が舞台だと教えてくださったが、教会に行った時だけ祈るのではなく、日々生活しながらどこでも祈り対話するようにコーチしてくださるサインだった。
一般にサインといえば、名前と日付が書かれているだけだが、先生のサインには必ず神様の御言葉が入っている。
確かに、野球選手の名前の入ったボールを受け取ることが出来たらば嬉しいが、その選手のメッセージまで書かれているならばどれほど嬉しく、意味があるだろうか?

新球を出すにあたってチームの名前をボールにサインしながら思ったことを徒然なるままに書いた。

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