話を聞き、話の内容は分かっても、自分の頭では理解できないことがある。
「敵を愛する」という先生の偉大な実践はそんな域の中にあるものだ…
今日、先生がベトナム戦争に行かれた時の話を聞いて、戦争というものがどういうものかを考えてみた。
以前見た戦争映画が脳裏でフラッシュバックした。
「戦争は残忍だった…」と先生がヒトコトで話されたが、残忍という言葉の中に含まれているモノがどんなモノか少し理解できた…
敵を見つけたらすぐに銃で撃ち殺す…即死ぬ…
敵が潜んでいるところへ爆弾を投げ込む…身体や手足が吹っ飛ぶ…
死の恐怖に手が震えて水を飲むことができないシーンがあったことを記憶しているのだが、恐怖の極みの中で一体どうやって「敵を愛する」という考えが浮かぶのだろうか…と、私の頭で理解が及ばない領域に入った…
さらには、自分を殺そうと銃を構えている敵を目の前にして銃を捨てて抱きしめに行ったというのだから、私の頭は完全に思考停止に陥った…
先生はベトナム戦争に実際に行かれた。
そして、残忍な戦争という地で「敵を愛する」行動を数十回も取った。
作った話ではない。
戦場に共に行った方が証言し、戦場で抱きしめられたその人がベトナムの地でつい最近まで生きながらえて当時の話をしていたのだから…
私はベトナムに一度も訪れたことがない。
コロナが明けたら一度行ってみたいと思う。
戦争を乗り越え、半世紀の歳月を経た姿を見ながら過去の先生の偉大な実践を考えてみる時間を持ちたいものだ…