登山家・栗城史多氏は「人は誰もが冒険し、見えない山を登っている。」と言いました。
人生の中で目の前に立ちはだかる困難なことや様々な問題は、まさに<見えない山>と言えるでしょう。
あなたがもう<一次元>上げようとするなら
「あなたの前の山」を越えていかなければならない。
次元は水準とも言い換えられますが、今の自分の生活水準をあげようと思うならば<見えない山>を越えていかなければなりません。
人はもっと良い“モノ”を慕いますが、行動せずしてタダで手に入れることはできません。
目の前に立ちはだかる<見えない山>を越えてこそ、今よりもっと良い“モノ”を手に入れることができます。
さて、どのようにすれば目の前に立ちはだかる<見えない山>を越えていくことができるのでしょうか?
最善を尽くして「山の頂上」に登ってこそ、東西南北すべてを見おろして、やりがいを満喫する。
このように「最善」を尽くして行なってこそ、すべてを得て生きる。
登山家はいつも死と隣り合わせ。
最善を尽くさなければ命を落としてしまう状況ですが、そのような状況ではないとしても、同じくらいの思いを持って最善を尽くしてこそ<見えない山>も越え、もっと良い“モノ”を手に入れることができます。
とは言うものの、目の前にそびえ立つ山々は高く高い・・・
越えようとする前に心が折れてしまいそうな時があるのではないでしょうか。
栗城史多氏は「最初から無理だと決めつけていたある登山。山では生きて帰るために必死に頑張るしかなかった、自分は勝手に限界を決めていたのだと気付た」と言いました。
<見えない山>も越えようとする前に無理だと決めつけていないのか、今一度点検してみてください。
決心してやろうとすれば、
「山ほどの大きいこと」も「家」のように見える。
「よし、やろう!」と自分に言い聞かせ、心を決めるならば、この言葉の通り、大きく見えていた山も小さく見えるのではないでしょうか。
さらに鄭明析牧師はこのようにコーチしてくださいました。
<高くのぼる時、次元を上げる時>その時はもっと「力」を出し、「熱心」を出さなければならない。
のぼって行くときだけが大変なのであって、大変な思いをしてのぼりきったら、そこからは「平地」と同じで、大変ではない。
山の頂上にのぼる時にもっと力を出すように、もっと良い”モノ”をつかむためにはもっと力を出さなければなりません。
そうするならば、各自に該当する<見えない山>を越えて、山の頂上から見えるの”絶景”を満喫することができます!
登山と人生。
あなたの目の前にある<見えない山>を越えるのは、他の誰でもない、あなたです。
そして、その<見えない山>を越えて”絶景”を満喫するのも、他の誰でもない、あなたです。