嬉しい気持ちもさることながら…

先日、またしても大事故に繋がりそうだったところ、神様が助けてくださった出来事があった。

私はバッティングマシンの導入に踏み切った。
この投資は決して安いものではなかったが、練習の効率化、そして、より効果的な指導方法を模索する中での決断だった。

届いて早速使用した。
今までは全て自分がバッティングボールを投げていたのだが、機械がやってくれるので、最高だ!と思って、とても嬉しい気持ちになっていた。
正直、半分浮かれたような気持ちだったと思う。

さて、一巡打ち終えたところで、マシンのボール受けにボールを補充していると、いきなり「カーン」という音が聞こえた…

本当に危なかった…

私は無防備でボールを補充していたところ、選手が思いっきり打ってしまったのだった…

ヘルメットもつけていなかった…

もし直撃していたら…

そう考えると身の毛がよだつ思いになった…

打球の方向は私のいる場所と逆の方向だったため、大事に至らなかった…

神様が守ってくださった!ということ以外に説明のしようがない。

私も選手もバッティングマシンでの練習は初めて、勝手が分かっていなかったのだから、全く咎めることはしなかった。
新しいモノを導入すれば嬉しい気持ちになるのは当然だが、やはり「一つのことだけを考えるな」という戒めはいつどんな時にでも心にとめておかなければならない。

再発防止のため、ボール補充の際には必ず電源を切ることとした。

 

人は本当に多くの失敗をする。
自分の不注意もあれば、不可抗力の場合もある。
いずれにせよ、ヒヤリ、ハッと体験は数えれば枚挙にいとまが無い。
今回のケースも同様、その全ての瞬間、神様が共にして助けてくださったということを私は信じて止まない。

梅雨でも野球の練習がしっかりできた経緯

コロナという未曾有の病が落ち着きを見せ、
自粛モードだった活動もようやく心置きなくできるようになってきた今日この頃。

先日は久しぶりに教会のメンバーが集まって野球の練習をすることができた。

練習の前日、雨が降り、当日の早朝にも雨が降っていた。
天気予報も終日雨。
「グランドで練習するのは厳しい…」と誰もが思っただろう。

しかし、練習時間の1時間ほど前に雨が止んだ。
ひょっとしてグランドでできるのではないかと足を運んでみると、思ったよりもコンディションは悪くないではないか!!
皆で協力してグランド整備をすることわずか30分、十分に練習できる環境が整った!!!

今回、野球の活動を中心になって進めているメンバーで祈っていたことがあった。
「雨が降らないようにしてください。」
神様はその祈りを確かに聞いてくださり、梅雨の中でも、しっかりと野球の練習をすることができたのだ!
ハレルヤ!

 

当日は未経験者も集まって共に野球をした。
チョンミョンソク牧師が教えてくださった御言葉「人は考えで生きていく」ということを意識しながら、良い考えで野球をできるよう皆が努力した。

私個人的には強い考えを持つことが大事だと悟った。
絶対打てる!絶対抑える!絶対アウトにする!
そう強く考えてプレーした時に上手くいくのを実感した。

「野球は精神のスポーツだ」とチョンミョンソク牧師は教えてくださった。
心・精神・考えで負ければ負けてしまうことは皆共感できる部分ではないだろうか?
ピッチャーのボールが速い、ちょっと怖いと考えによぎった時点で腰が引けてしまう…などの現象はまさにそのことを物語っている。

 

今回の野球の練習ではケガ人は出なかった。
野球のみならず、スポーツではケガや事故がつきものであるが、無事に練習を終えることができたということに感謝するしかない。
ヒヤッとする場面もあった。
見学に来ていた子どもにノックのボールが当たりそうになった。
守ってくださった神様に今一度感謝したい。

練習すること、努力することについて

夢や目標に向かって日々練習している野球選手たちが多くいる。
それぞれに一生懸命に努力していると思うが、今一度「努力」するということがどういうことなのかについて考えてみてはどうだろうか。
同じく「練習」、「努力」という単語を用いるにしても、その中身がどのような、どの程度のモノなのかは、使う人によってそれぞれだ。
よく検討してみる必要があると思う。

練習するときは試合の何倍もしないといけません。
練習をしなければできません。
実戦のように最善を尽くさなければなりません。
<チョンミョンソク牧師『平和サッカー』(p.199)より>

練習で実戦(=試合)のように最善を尽くしている選手がどれくらいいるだろうか?
少しでも妥協していないだろうか?
練習から最善を尽くすことを繰り返していれば上手くなるだろう。

 

一度でできることはありません。
私もボールをこのように蹴れるようになったのは最初からできたのではありません。
最初からよく蹴れたのではなく、数百、数千回練習をして、このようになったのです。
何でも継続すればよくできるようになります。
上手くできる時までしなければならないということです。
<チョンミョンソク牧師『平和サッカー』(p.199)より>

1回や2回、あるいは数十回やったのではできないことが大半。
数百回、数千回練習を繰り返すことを努力というだろう。
また、努力というものは「できる時まで」するものだ。

 

2つのチョンミョンソク牧師の言葉を聞いて、
私自身、野球コーチとしてまだまだ取り組む姿勢が甘かったことを痛感する。
練習から最善を尽くして「できる時まで」やることをしっかりと胸に刻みたい。