「立ち上がれ!」

「立ち上がれ!」と言われたら怒られるかと思ってドキッとするのは私だけだろうか…笑
しかし、そういう話ではない。
「立ち上がれ!」という言葉は「始めなさい!」という言葉だと先生はおっしゃった。
ホイッスル、試合開始の合図だ!

今週から練習試合が始まっていく。
感染防止対策を徹底しながら、着々と大会に向けて準備を進めていく予定だ。
冬の間、心身共に鍛えてきた成果を見ることができると思うと期待に胸が膨らむ。

春を待ちに待っていた。
試合が無くトレーニングに打ち込んだ冬の期間は、終わってみたら短かったように感じるが、冬トレをやっている最中はまだかまだかと気をもみながら練習に励んでいたことを思い出す。
その待ちに待っていた“時”がついに来たのだ!
「立ち上がれ!」と闘志を燃やして今週からやっていきたいと思う。

スポーツを楽しむという根本的なことを記憶せよ

日々、選手を指導しながら、向上心を燃やして精密に一つひとつのプレーに磨きをかけてきたが、そこにばかり気が行ってしまい、根本的にスポーツを楽しむことを忘れてしまっていたことに気が付いた。
何か特別なきっかけがあったわけではないが、今日は選手と共に楽しく野球をすることになった。
投げることの楽しさ、打つことの楽しさ、この身体を思う存分に動かしながら仲間と共に勝負の味に陶酔するヒトトキが最高だということを深く悟った。

先生は「芸術は疲れた人間の肉と心と霊魂をほぐし、高貴にする。芸術を喜び、主人となり、それに酔っている人たちは、なかなか老けない。」と教えてくださった。
運動・スポーツも芸術の一つである。
この言葉の通りに、運動・スポーツが日々の疲れをほぐしてくれ、老いをも寄せ付けないことを実感した。

 

選手、指導者一同、スポーツを熱心にしていると、スポーツを楽しむという根本的なことを忘れてしまいがちだ…
日々の練習は自分を高めるための試練として辛い時が多い。
しかし、根本的にスポーツを楽しむという観点が没落しては、ただただ辛く苦しくなる。

芸術が肉だけを中心にして流れると人間はつらくなる。
芸術をくださった創造主を喜ばせ、霊を中心として流れていくとき、より高貴で偉大な芸術になれる。

スポーツを楽しむという根本的なことを記憶しながら、スポーツで神様に栄光を帰すとき、これまでに味わったことのない喜悦の中でプレーすることができると信じてやまない。

執念はあっても固執はあってはならず、自信感はあっても驕慢はあってはならない。

執念はあっても固執はあってはならず、自信感はあっても驕慢(きょうまん)はあってはならない。(*1)
(『自分を作りなさい』 p.121より)

先生が書かれた著書『自分を作りなさい』を毎日コツコツと読み重る中で、この言葉が胸にグサッと刺さった。
自分を作る中で、大きな指針となるヒトコトだと思った。

 

固執という単語には自分の考えや自分の主張によがるようなニュアンスが含まれるように思う。
その考えや主張が真理から来るものであれば執念と言えるだろう。
真理に基づいた考え、主張を強く持って生きていきたいものだ。

自信がない人が多い。
不確かなことを信じることはできない。
真理は確かなもの、ゆえに、真理によって自分を作れば自信を持って生きることができるようになるのだ。
しかし、驕慢であってはならない。
自信を持って生きていくとしても、真理によって自分を作って自信を得たとしても、他人と比較して他人を見下すような姿勢をとってはならない。

 

絶えず自分にベクトルを向け、自分作りに励む中、このヒトコトをよくよく戒めていきたいと思う。

真理を携えて自信を持ち、執念を燃やして真理を行なう人間を目指していきたい。
自分の考えや主張に固執していないか、おごり高ぶっていないか、いつも点検しながら…

 

 

(*1) 집념은 있어도 고집은 없고, 자신감은 있어도 교만은 없어야 한다. (『자기를 만들어라』p.121)