野球オンライン練習会

先日、野球部がオンラインで練習会を開催した。
コロナ禍以降、オンラインで様々な活動が行なわれるようになったが、スポーツの練習をオンラインで行なっている人たちはどれくらいいるだろうか?と不図考えた。

当初、「野球の練習がオンラインでできるのだろうか?」と疑ってかかっていた。
しかし、実際にやってみると、工夫次第では、オンラインでも練習が可能だということが分かった。

野球というスポーツは団体競技でありながら、個人競技の側面が強いように感じる。
個人競技の練習となれば、全員が同じ空間に存在していなくても成り立つ。
素振りやシャドウピッチング、ゴロ捕球に至るまで、1人で出来る練習、いや、1人でしなければならない練習は、考えてみると山のように存在する。

人の固定概念というモノは本当に恐ろしい。
「練習=一同に集まってやるもの」という固定概念が活動の幅を大きく狭めてしまっていたことに気が付いた。
(人の宗教というものに対する固定概念も同様に、人生を豊かにするソースを取り入れることをブロックしてしまっている…)

さて、オンラインでの練習は録画という形で残すことが可能である。
同じ時間帯に参加できなかった人たちも、後で見て、同じく練習することができるというメリットがあるのだ。
時空間を超越した野球の練習スタイルは、非常に画期的ではないだろうか?
同じ時空間でしか成り立たないというスポーツ活動の固定概念を取り払い、より多くの人たちが少しでもその活動に参加することができる形を追求していけば、また野球というスポーツの存続問題にも一石を投じることができるだろう。

教会の野球チームで地元のソフトボール大会に参加

先日、教会の野球チームで地域のソフトボール大会に参加した。
地域のソフトボール大会は毎年行なわれており、今回は7チームが参加していた。

「天に栄光、地に平和」

聖書にも書いてある通り。
チョンミョンソク牧師はこの御言葉を運動・スポーツの中で実践するようにと教えてくださった。
私たちも今回のソフトボール大会ではスローガンとして掲げてプレーをした。

今回の大会に臨む前、各自がいつも以上に準備をした。
先月は毎週練習を積み重ね、皆の心を一つに祈りも捧げた。

そうして迎えた試合での結果は言うまでもない。
2戦2勝、両ゲームともコールドで勝利を収めた。

試合はトリプルヘッダーで組まれていたのだが、悪天候により、3試合目・決勝戦は中止となった。
延期、かと思われたが…
なんと、勝敗をくじ引きで決めるという…

決勝戦、両チーム9人が雨の中整列した。
審判が順に〇×の書かれたくじを選手に引かせた。
勝敗の行方は神のみぞ知る…笑

結果は…

負け…

準優勝となりました。

結果はどうであれ、今大会を通じて、地域の方々と交流することができ、教会と地域との繋がりを深めることができたことが大きなことではなかったかと思う。

我々の教会は社会と乖離した存在では決してない。
むしろ、社会の構成員として欠かすことのできない一員だという認識を持っていただきたい。

様々なスポーツ大会、特に、野球やソフトボール大会において、今後もキリスト教福音宣教会の野球部は積極的に参加し、共に作り、盛り上げていくつもりだ。
そして、より平和な社会を作っていけたら幸いである。

教会の野球メンバーで野球のトーナメントの大会に初参戦!

先日、教会の野球メンバーが集い、初めて野球のトーナメントの大会に出場した。
これまで教会の野球メンバーたちが心の中では願っていたけれども実現には至らなかった一つの夢が叶った瞬間だった。

決して教会から活動を制限されていた訳ではない。
むしろ教会からは「こんなにも野球ができるメンバーがいるのだから大会に出てみたら良いのでは?」と背中を押していただいていた。
今回、野球メンバー皆が決意を固めて、各々の仕事の状況を調整し、家庭の協力を得て、何とか実現するに至った。

大多数の人間が一つの心で物事を成すということは容易ではない。
各自の生活があり、各自の行くべき道があるからだ。
その中で9人以上のメンバーの心を集めて大会に出ていくこと、それ自体が非常に価値あることだと私は感じた。

大会当日、勝ち負けももちろん重要だが、「笑顔と感謝」というテーマで戦おうと皆で誓った。
勝っても笑顔と感謝を忘れたら負けだ。
負けても笑顔と感謝で試合をやり切ったなら勝ちだ。
そういって挑んだ。

結果はコールド負けだった。
実力の差というよりは練習不足だった。
正直、悔しかった。
しかし、テーマの通りに皆が終始笑顔を絶やさなかった。
各自が野球ができることに感謝し、また、根本者神様に心から感謝をした。

キリスト教福音宣教会に出会う前、勝ち負けにとことんこだわって野球をしていた頃をふと思い出した。
勝っても負けても、時が過ぎ去ればどこかに虚しさが残った。
自分の人生のベクトルが間違えば、どこまで行っても虚しさから抜け出すことはできない。
結局、自分の心霊が満たされて初めてその虚しさから抜け出すことができるわけだが、野球をするにしても何をするにしても「虚しくない」という境地にいられることが何より私にとっては感謝なことだった。

さて、今後の教会の野球メンバーたちの動向だが…
大会が終わった後、ミーティングを重ね、週に一度の練習も行なっている。
もっと素敵なプレーをしようと日々奮闘中だ!
悔しさをバネに、失敗を糧に、次に出る大会では勝利を目指す。
乞うご期待!