中学の時に同じ野球チームだった仲間の突然の別れ

寝耳に水…
まさか同い年の野球仲間がこんなにも早く…

中学の野球チームの同窓会LINEに訃報が入った。
3年間共に汗を流した野球仲間が、仕事終わりに倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった、と。
中学卒業以来、一度も再会することができず、仲間の突然の別れを迎え、心苦しいばかりだ…

彼と共に野球をした中学時代を回想してみた。
当時は県下敵なし。
今なおチーム史上最高成績を収めた黄金世代。
死ぬほどキツかった練習を彼と共に乗り越えた日々を思うと涙が込み上げてくる…

私は摂理に来て、人生の生きる意味を知り、死後の世界について悟った時、切実に祈りを捧げた。
過去、自分と共に野球をした全ての仲間たちが救いを得られるように、と。
彼がその後どのような人生を歩んだのか、詳しくは分からないが、私の小さな祈りが天に届くことを切に願うばかりだ…

人は生まれて必ず死を迎える。
ただ早いか遅いかの違いがあるだけだ。
その生きている期間「何を食べて生きるかが問題ではない。どのように生きるかが問題だ。」というチョンミョンソク牧師の言葉が深く深く胸に刺さる。
義なる生き方をするようにと説き続けるチョンミョンソク牧師の教えに習って生きるならば、人生一生、霊魂永遠まで後悔がないだろう。

野球だけをして生きるならば本当に虚しい。
「野球だけの人生ではない」と謳う人は多いが、どのように生きるのかについて教えてくれる人は多くない。いや本当の意味では皆無に等しい。
人の人生、十人十色だが、生きる意味の根本は、やはり宗教にしか答えがないのだと痛感している…

自分が生きているということの貴さを今一度悟った。
この世に生を受け、今も生きて存在しているということがどれほど大きな神様の恵みなのか、感謝しても感謝しきれない。

彼の霊魂のために切に祈ります。
残されたご家族の今後の生には神様の恵みが満ち溢れますように…
ご冥福を心からお祈り致します…

哀悼の意で綴りました…

野球オンライン練習会

先日、野球部がオンラインで練習会を開催した。
コロナ禍以降、オンラインで様々な活動が行なわれるようになったが、スポーツの練習をオンラインで行なっている人たちはどれくらいいるだろうか?と不図考えた。

当初、「野球の練習がオンラインでできるのだろうか?」と疑ってかかっていた。
しかし、実際にやってみると、工夫次第では、オンラインでも練習が可能だということが分かった。

野球というスポーツは団体競技でありながら、個人競技の側面が強いように感じる。
個人競技の練習となれば、全員が同じ空間に存在していなくても成り立つ。
素振りやシャドウピッチング、ゴロ捕球に至るまで、1人で出来る練習、いや、1人でしなければならない練習は、考えてみると山のように存在する。

人の固定概念というモノは本当に恐ろしい。
「練習=一同に集まってやるもの」という固定概念が活動の幅を大きく狭めてしまっていたことに気が付いた。
(人の宗教というものに対する固定概念も同様に、人生を豊かにするソースを取り入れることをブロックしてしまっている…)

さて、オンラインでの練習は録画という形で残すことが可能である。
同じ時間帯に参加できなかった人たちも、後で見て、同じく練習することができるというメリットがあるのだ。
時空間を超越した野球の練習スタイルは、非常に画期的ではないだろうか?
同じ時空間でしか成り立たないというスポーツ活動の固定概念を取り払い、より多くの人たちが少しでもその活動に参加することができる形を追求していけば、また野球というスポーツの存続問題にも一石を投じることができるだろう。

教会の野球チームで地元のソフトボール大会に参加

先日、教会の野球チームで地域のソフトボール大会に参加した。
地域のソフトボール大会は毎年行なわれており、今回は7チームが参加していた。

「天に栄光、地に平和」

聖書にも書いてある通り。
チョンミョンソク牧師はこの御言葉を運動・スポーツの中で実践するようにと教えてくださった。
私たちも今回のソフトボール大会ではスローガンとして掲げてプレーをした。

今回の大会に臨む前、各自がいつも以上に準備をした。
先月は毎週練習を積み重ね、皆の心を一つに祈りも捧げた。

そうして迎えた試合での結果は言うまでもない。
2戦2勝、両ゲームともコールドで勝利を収めた。

試合はトリプルヘッダーで組まれていたのだが、悪天候により、3試合目・決勝戦は中止となった。
延期、かと思われたが…
なんと、勝敗をくじ引きで決めるという…

決勝戦、両チーム9人が雨の中整列した。
審判が順に〇×の書かれたくじを選手に引かせた。
勝敗の行方は神のみぞ知る…笑

結果は…

負け…

準優勝となりました。

結果はどうであれ、今大会を通じて、地域の方々と交流することができ、教会と地域との繋がりを深めることができたことが大きなことではなかったかと思う。

我々の教会は社会と乖離した存在では決してない。
むしろ、社会の構成員として欠かすことのできない一員だという認識を持っていただきたい。

様々なスポーツ大会、特に、野球やソフトボール大会において、今後もキリスト教福音宣教会の野球部は積極的に参加し、共に作り、盛り上げていくつもりだ。
そして、より平和な社会を作っていけたら幸いである。