先日、久しぶりに日本に帰って
摂理のメンバーと共にサッカーをした。
まずは、普段サッカー場を取るのが難しい(競争率が高いため)のだが、
その日は午前中一杯を使うことができるようになった!
準備してくださった神様に感謝!ハレルヤ!!
さて、出発前、とある聖句を読むようになった。
ルカによる福音書 2章 14節
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
先生は神様に栄光を帰すとき平和の歴史が起こると教えてくださった。
その教えをもう一度脳に刻み出発。
ウォーミングアップ、練習を終え、
試合に入るようになった。
序盤はチームも得点したし、
みんなとのコミュニケーションも不足しているわけではなかった。
しかし、何かが物足りない、モヤモヤした感じだった。
その時、不図、こんな考えが来た。
神様が見ていると本当に思うならば、
みなさんはどのようにプレーするだろうか?
神様が見ている。
自分の一挙手一投足を…
先生は懸命にフィールドを駆け回る。
神様だけを意識して。
しかも、しんどくても、笑顔は絶やさない。
本当に、自分のことを神様が見ているんだったら、
命を懸けて全力でボールを追うはずだプレーするはずだ!
その瞬間からこの考え一つでプレーが変わった。
普段追わないボールにも食らいついた。
足が止まりそうになったときにもっと走った。
その結果、最後の最後にゴールを決めることができた!
そのゴールの栄光を天に帰すと空を見上げたらハートの形をした雲があった!!
自分が決めたと絶対に高慢になってはいけない。
神様に思いが向かった時、神様が力をくださったから最後まで全力疾走できた。
いつも神様に感謝と栄光を捧げることだ。
自分が栄光を受けてしまってはいないのか、点検することだ。
そして、フィールドでプレーしたすべての仲間たちが怪我なく終われたことが本当に大きかった。
スポーツに怪我は付きモノ。
でも怪我なく終われたということは、神様が共にしてくださった“しるし”だ!と壮語したい。
サッカーもそうだし、様々なスポーツをする際に、
神様以外の違うところに考えが向かうと平和ではなくなる。
勝利、名誉、名声、権威、お金…
地が平和ではないところの中心にはこのような“欲”の塊が残念ながらある。
天に栄光、地に平和。
野球のコーチをする時にも本当に忘れてはいけない大切なものを
今一度悟るようにさせてくださった、尊い機会となった。