状況・環境はいつも整っている訳ではない…

この主題だけを見聞きすれば悲観的な話かと思われるかもしれないがそうではない。
「状況・環境はいつも整っている訳ではない」という考えが頭の中に入っていれば、少々状況・環境が良くなくても夢に向かって突き進んでいけるという話しだ!

コロナの影響で少数で練習を進行しなければならない状況であり、雪が溶けてグランドは水浸し、限られた環境の中での練習が続いている。
しかし、いつでもどこでもやれることは山ほどある。
河川敷の狭いサッカー場で練習を重ねて全国大会・優勝を勝ち取った経験から考えても、状況・環境が致命的な問題ではないことを強調したい。

コーチという立場から選手たちに伝えたいことが様々にある。
今このような状況・環境下だからこそ、その状況・環境を好材料として活用して教育することができると思っている。
状況・環境を言い訳にする人生にはなってほしくないという切なる願いを込めて最近は一層練習に熱が入っている。

先生がベトナム戦争に行かれた時、片手には銃を、片手には聖書を持ち、命の懸っている戦場でも聖書を読んだエピソードが思い出される。
「目的は目的だ」という有名な箴言があるが、状況・環境を決して言い訳にしない、目的を達成することに全力を尽くしていく、そういう人間に自分自身も成長したいし、選手たちもそのようになってほしいと思う。

【扉を開けるカギ】チョンミョンソク牧師のコーチングによって生まれた初ヒット・ホームラン

「扉を開けるにはカギが必要だ。」

この一文は比喩表現だ。

扉とは難題であり、
開けることは解くことであり、
カギは問題の答えである。

人は生きていく中で様々な難題に直面するが、
その都度、その難題を解いていかなければならない。

その際に必要な答えを得るために奔走するのだが、
答えを得るのは決して易しいことではない。

 

【扉を開けるカギ】と題するシリーズでは
チョンミョンソク牧師のコーチング・御言葉が【難題を解く答え】となったストーリーを紹介する。
紹介するすべての話は実話であり、同類の難題に直面する全ての人たちの扉を開けるカギになると信じてやまない。

 

 

さて、記念すべき第1話は元プロ野球選手の話。

念願のプロ入りを果たし、一軍に上がって間もなくのことだった。

なかなかヒット1本が出ない…

彼はチョンミョンソク牧師のもとを訪ね、指導を仰いだ。

その時、チョンミョンソク牧師は何とおっしゃったか?

 

【扉を開けるカギ】

“공격적으로 쳐라”
“攻撃的に打ちなさい”

(日本語に直訳するとニュアンスがつかみにくいのだが、
果敢に相手に立ち向かっていくような意味合いがこの言葉には含まれている。)

 

彼はチョンミョンソク牧師のコーチングを受け、試合に挑んだ。

その試合で、彼は、なんと、ホームランを放った!
プロ入り初のヒットがホームランとなったのだった!!

 

「攻撃的に打ちなさい」というチョンミョンソク牧師のコーチングが扉を開けるカギとなり、プロ入り後、打撃に苦しんでいた彼の問題を解決することができたのだ!
以後、初ヒットがホームラン!という華やかなプロ野球生活の幕開けと共に、彼が人々の記憶に残る活躍をしたことは想像し難くないだろう。
ハレルヤ!

責任を取る男、責任を取れる男

昨日、一つのドキュメンタリーを紹介してもらった。
分量が1時間のドキュメンタリーだったのだが、ゆっくり見る時間がなく、二倍速で見た。
内容は韓国のプロ野球が始まって間もない1984年の韓国シリーズで大活躍したある投手の話だった。

韓国のプロ野球は1982年に6チームで始まった。
現在は10チームで一つのリーグを作って試合をしている。
メジャーや日本にも多くの人材を送り出している。

彼は韓国プロ野球の草創期を盛り上げた。
1984年の韓国シリーズで優勝のかかった一戦を彼は一人で投げ切って胴上げ投手となった。
優勝直後のインタビューでは記者から今一番言いたいことは何かと問われ「寝たいです」と答えていた(笑)
なぜそのように答えたのか?
その年の韓国シリーズでは第7戦の最終戦までもつれたのだが、そのうちの4戦に先発、1戦はリリーフと計5試合に登板したからだ!
日本のプロ野球でも過去にそのようなエースの連投劇が繰り広げられていた。

彼はメガネをかけていた。
当時、韓国ではメガネをかけている男性は弱弱しいというイメージがあったそうだが、彼の活躍によってメガネブームが巻き起こった。
メガネをかけた投手の漫画が登場したり、彼と同じメガネのフレームが流行になった。
そのメガネのフレームは今も人気があるという。

そんな彼と実際に対戦した人物たちの話がドキュメンタリーの中で出てきた。
彼は他の投手と何が違ったのか?
それは精神、「ピッチャーは力のある限り投げぬくんだ」という精神を確かに彼は持っていた。

この言葉は自分がマウンドに立つならばその試合は責任を取るということだろう。
彼が延長15回の試合も紹介されていた。
相手の投手も完投し、両者200球を超える投球数だった。
今ではあり得ないことだが、自分がマウンドに立った試合は自分が責任を取るという気概は今の時代にも必要な精神だろう。

先生がベトナム戦争に行かれた時、どのような思いだったのかを想像してみる。
先生はベトナム戦争に行くのが嫌だったが、「人が道を行く途中、兄弟たちが血を争うことを見て、その道をただ避けて通ることができるのか?あなたは私(神様)を信じて生きる者として誰よりも先に行って止めないといけないのではないか?個人の争いが大きくなり、民族の争いまでになったあの国で争いを止めにこの民族あの民族が行っているのに、あなたも先頭に立って行ってみなくてはいけないのではないか?あなたが行って人々がどのように戦争をしているのか、彼らと同じく直接経験してみて私に祈り求めなければならないのではないか?*1」という神様からの霊感を受け取ってベトナム戦争行きを決意された。
その時、実際に先生がどのような思いであったかは定かではないが、自分が責任を取るという思いで行かれたのでは…

責任を取ると言えるということは、実際に、責任を取れるだけの力を兼ね備えている証だろう…

責任を取る男、責任を取れる男になろう!という決意を込めて書いた。

 

(*1) 『戦争は残忍だった。愛と平和だ。』(第一巻 p.46)より