“カメ”から学ぶ精神

カメと言われてすぐ思い浮かぶ話がある。
それは童話「ウサギとカメ」の話だ。

ある日、ウサギとカメが山の頂上を目指して競争をする。
ウサギは遅いカメを見て油断して、ひと休みした。
ウサギが休んでいる間にカメは着々とゴールへ向かって進んだ。
結局、ウサギが休んでいる間にカメが先着し、勝利するようになるという話。

この童話「ウサギとカメ」の話を通して得られる教訓は多く多い。

カメはなぜ勝利できたのか?
この童話の解釈が様々にあるが、私は決して諦めなかったということを挙げたい。
競争をする前、カメはウサギのスピードを知らなかっただろうか?いや、知っていたはずだ。
しかし、カメは決して諦めなかったのだ。
ゴールに向かう歩みを決して止めなかったのだ。
先生は「最後まで」という言葉をよく使われる。
何事においても「最後まで」やってこそ結果が出るものだ。
結局、カメは最後までやって勝利を手にした。

油断大敵という言葉があるが、ウサギは油断という大敵の前に屈してしまった。
ゴールしてから休むという選択肢を取れば良かったのだが…

日常の中で勝利の過程であるにも関わらず勝利したかのように振る舞い、勝利を逃すことが少なくない。
ウサギをあざ笑って、自分があざ笑われる目に合わないようにしたいものだ。

 

また、『誰かが見ていても見ていなくても、やるべきことをやること。』という記事にも関連する内容だが、誰も見ていない、人が休んでいる間に努力して得る報いは大きいだろう。
明け方から考えなさい。朝から考えるのでは遅い。」と先生が教育してくださったこともあったが、やはりどんな分野においても先を行く人は休んでいる時間に、人の見えないところで努力していると思う。
まるでウサギが休んでいる間にカメがゴールに向かうように。
(とはいえ、人間は睡眠なしには生きることができないため、休むべき時には休むことが知恵だ。)

材料が揃い、条件が合い、また天才が現れるとしても、時間に遅れたり、時間がなかったりするとできないものだ。
『天のことば 私のことば』(p.112)より)

ウサギのように能力があっても時間に遅れ、時間がなくなっては手も足も出ない。
カメのように休むことなく、持続的に、最後まで行なって勝利する人生を歩めるようにしたいものだ。

誰かが見ていても見ていなくても、やるべきことをやること。

昨日、ある方からこのような質問を受けた。
「選手の親が近くで練習を見ていると指導しずらいのではないか?」

全く意識しないわけではない。
しかし、私はこのように即答した。
「誰かが見ていても見ていなくても、やるべきことをやることに変わりありません。」

 

選手たちに絶えず教育していることは、誰かが見ているからやるとか、誰かが見ていないからやらないとか、そういう考え方で野球をしないように、ということだ。
監督・コーチが見ていても見ていなくても真面目に真剣に練習が出来なければならない。
監督・コーチのために野球をするのか?
また、親のために野球をするのか?
自分がやりたくて、自分が自分の人生の中で選んでやっていることだということを選手たちがはっきり認識できるようにしたいと考えている。

自分自らやる練習とやらされてやる練習ではその効果が天と地の差。
幼い選手たちは自らやる力がまだまだ育っていないが、それでも教育し続けることで少しずつ意識に変化がみられている。

努力するベクトルが絶えず自分に向けられれば、どのような状況・環境の中でも目標に向かって突き進んでいくことができるようになる。
環境・与件・立場・雰囲気に流されるな」と先生は歌も作ってコーチしてくださった。
誰のためでもない、自分の目標に向かう選手たちに必要なコーチとして戒めたい。

 

努力は報いられるという。
しかし、一体どこの誰が報いてくれるだろうか?
隠れて努力する姿を神様はすべてご存じで、報いてくださる。
マタイによる福音書の6章(4,6,18節)を見てみると、「隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」という文句が3度も出てくる。
(ここで父というのは神様のこと。)

誰かに見せようとして、報いてもらおうとして努力することも時にはあるだろう。
しかし、真の実力を兼ね備え、第一線で活躍する選手たちは皆隠れたところで想像をはるかに超える努力を自分のためにしている。

誰かが見ていても見ていなくても、やるべきことをやること。
その努力の報いを受けとることを心から祈る。

熱情・向上心

昨日、ミーティングでこのように話した。

今まで一生懸命にやってきた。
でも、ここでもう一段階ギアを上げよう!
熱情がないといけない。
皆、持っているが、もっと強い熱情を持って練習に取り組もう!
だからと言ってただ声を大きく張り上げて練習しようということではない。
もっと遠くに飛ばそう、もっと速いボールを投げよう、もっと精密にボールを捌こう、もっとうまくなろうという向上心を燃やして練習に取り組もうということだ!

冬のトレーニングをこなしながら、日常のメニューをただ消化しているだけのような雰囲気がチーム内で漂っていた…
「現状維持は衰退だ」という意識で常に上を目指す向上心を持てるようにと選手たちに話をした。

 

先生は故郷・月明洞を開発し、岩の造形、運動場、芝生、湖、水泳場、散策路など様々に作られた。
私の目にはほぼ完成したように思え、あとは使うだけだと思っていたが、私の考えはあまりにも愚かだった…
先生はもっと良く開発なさり、今も休まずに手を加えていらっしゃる。
そんな先生の姿を見ながら、このように万事もっと良くしようと思って行なえばどれほど素敵な人生を送ることができるだろうか!と人生の哲学を悟った。

野球においても同じだ。
神様が創造してくださった芸術の世界は深く深い。
探求すればするほどにその真価を感じ取るようになる。
プレーを見ながら、あるいは自分がプレーをしながら鳥肌が立った経験があるだろう。
もっとうまくなろうと技術を磨けば磨くほどに、原石が磨かれて異彩を放つようになるように、見る人を虜にし自身も驚くようなプレーをすることができるようになる。

 

この冬、練習がマンネリ化しないように練習をアレンジする努力は欠かしていない。
しかし、選手自身がもっと積極的な態度で練習に取り組まなければ際立つ発展は見込めないと思い、昨日のミーティングで話をするに至った。

1月もあと1週残っていない。
歳月人を待たずというが、春はすぐに来る。
試合を見据えて練習にもっともっと熱情を注いでいきたいと思う。