【扉を開けるカギ】試合の結果に対するチョンミョンソク牧師の心理的コーチング

【扉を開けるカギ】の第9話は経験の浅い監督の話。

勝負の世界は本当に厳しい世界だ。

どちらかは勝ち、どちらかは負ける。

勝負に強いこだわりを持つ者同士がぶつかり合えば、
その勝負の後には心身ともに疲弊する。

ある監督は「監督業は長生きできない」とぼやくほど、
勝負にかかるストレスは想像を絶するほど大きい…

名将と呼ばれる監督でさえも「勝ち続けているからこうして脚光を浴びているだけであって、負けたら監督を続けることすら危うい」と言った…

 

経験の浅い監督にとってみれば、
勝負にかかるストレスは非常に大きい。
負けるともなれば、大きな心理的ダメージを受け、
次への歩みを止めるブレーキ要素になりかねない…

彼はこのストレスとどのように向かい合えば良いのか悩んでいた…

チョンミョンソク牧師のもとを訪れ、指導を仰いだ。

結果に一喜一憂する彼にチョンミョンソク牧師はこのようにコーチングをされた。

 

【扉を開けるカギ】

“져도 낙심하지 말고 이겨도 방심하지 말아라”
“負けても落胆せず、勝っても気を緩めるな”

 

試合に負ければ落ち込む…
試合に勝てば気を緩める…

試合後の心理を的確につくチョンミョンソク牧師のコーチングにより、
彼の肩の荷は軽くなった。

勝敗の中でも一喜一憂せず、心変わりすることなく突き進んでいけるコーチングを受けた彼は息長く活躍できるだろう。
試合に負けて落胆せず、勝っても気を緩めずに歩む監督にエールを送りたい。

チョンミョンソク牧師のコーチングは、監督だけではなく、選手も含め、
勝負に関わる全ての人たちの【扉を開けるカギ】になり得ることは疑う余地もないだろう。
ハレルヤ!

指導者として備えるべき力

昨年のこと、チームの主力選手が肘の痛みを訴えてきた。
その選手は病院に行き、レントゲン写真を撮ってもらったのだが…
なんと、肘の剥離骨折だった…

病院では「野球はもうやらない方が良いですね…」と言われた…
他の病院にも行ってみたが、同じように「この状態で野球を続けるのは厳しいですね…」と言われた…

 

このような状況の中で、皆さんが指導者ならば、どのような対応をするだろうか?

 

我がチームでは、痛みを訴える選手に対して、まずは専門家に診断してもらうことを勧めている。
一般の病院ではなく、スポーツ障害を専門とする病院やスポーツトレーナーを訪ねるように助言をしている。

 

その選手は都内のスポーツ障害専門医を訪れた。
診断の結果は、手術が必要ではあるが、一定期間の治療・リハビリを経れば十分に野球ができるとのことだった。
選手生命が絶たれたわけではなかったのだ…

その分野の専門家が見ると見解が異なる場合がある。
指導者は自分が解決できない問題に対峙したとき、その分野の専門家にパスをする力が必要だと思う。
自分が全てを兼ね備えていなくても、備えている専門家とのつながりがあるかどうかは指導者の力量の一つと言える。

 

正直、どれだけ指導者が気を付けていたとしても、スポーツには事故や怪我・故障はつきもの。
(指導者としての責任逃れで言っていることではないことをご理解いただきたい)

日頃から最大限神経を使って選手の肘・肩を管理して来たが、この一件を通して、一から選手の肘・肩の管理体制を見直した。
肩肘の筋力強化、運動後のストレッチに今まで以上の時間をかけるようにしている。

事が起こってから対処する力ももちろん備えなければならないが、事を未然に防ぐ力こそ指導者が備えるべき力ではないかと思う。
先生は数百数千の人の病を治してこられたが、数万数十万の人が病にかかることがないように教え導いてこられた。
問題を解決することも物凄いことだが、問題が起こらないようにすることが最も優れた知恵者ではないかと思う。
すなわち、転ばぬ先の杖を与えることのできる指導者が最高の指導者と言えるだろう。

転ばぬ先の杖を選手たちに持たせてあげる指導者になれるように、一層学び、研究を重ねていきたいと思う。

無題

話を聞き、話の内容は分かっても、自分の頭では理解できないことがある。
「敵を愛する」という先生の偉大な実践はそんな域の中にあるものだ…

今日、先生がベトナム戦争に行かれた時の話を聞いて、戦争というものがどういうものかを考えてみた。
以前見た戦争映画が脳裏でフラッシュバックした。
「戦争は残忍だった…」と先生がヒトコトで話されたが、残忍という言葉の中に含まれているモノがどんなモノか少し理解できた…

敵を見つけたらすぐに銃で撃ち殺す…即死ぬ…
敵が潜んでいるところへ爆弾を投げ込む…身体や手足が吹っ飛ぶ…

死の恐怖に手が震えて水を飲むことができないシーンがあったことを記憶しているのだが、恐怖の極みの中で一体どうやって「敵を愛する」という考えが浮かぶのだろうか…と、私の頭で理解が及ばない領域に入った…

さらには、自分を殺そうと銃を構えている敵を目の前にして銃を捨てて抱きしめに行ったというのだから、私の頭は完全に思考停止に陥った…

 

先生はベトナム戦争に実際に行かれた。
そして、残忍な戦争という地で「敵を愛する」行動を数十回も取った。
作った話ではない。
戦場に共に行った方が証言し、戦場で抱きしめられたその人がベトナムの地でつい最近まで生きながらえて当時の話をしていたのだから…

 

私はベトナムに一度も訪れたことがない。
コロナが明けたら一度行ってみたいと思う。
戦争を乗り越え、半世紀の歳月を経た姿を見ながら過去の先生の偉大な実践を考えてみる時間を持ちたいものだ…