ひとつ一つ、じっくり・ゆっくりとやっていくこと

目標に向かう過程において、目標を達成したい願望が強ければ強いほど急いでしまう…
春の甲子園が始まっているが、全国大会優勝という目標を設定し、チームを導いているが、チームの水準を引き上げようとつい行き過ぎた指導をしてしまうことが起こりえる。
これまでいくつもの学校で起きた事件の数々が物語っている…

タイトルにもあるように、ひとつ一つ、じっくり・ゆっくりとやっていくことが答えだ。
もちろん、任期があり、短時間の中で結果を求められる厳しい世界であるがゆえ、大概は急ぐだろう…
しかし、何事も飛躍はない。
一度では困難極まりない。
段階を踏まなければならない。

同じことを3度4度指摘しても変わらない選手がいても、5度6度説明する忍耐が必要な時もある。
消化力が乏しい選手がいても、時間をかけて具体的に一つずつ手ほどきしてあげなければならない時もある。
そのようにじっくりと指導した選手は成長した後が強い。

私の好きな箴言の一句を紹介する。
急いで得た富は減る、少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。(箴言13章11節)

富だけでなく、全ての物事がこのようにこうだと思う。
ひとつ一つ、じっくり・ゆっくりとやって得たものは簡単には奪われない。

選手への期待が大きいあまり、指導者が急ぐようなことがあってはいけない。
いつもひとつ一つ、じっくり・ゆっくりと教えながら選手の成長を忍耐強く見守ることのできる指導者になりたいと思う。

分別・判断

今日は日曜日、主日礼拝を捧げた。
今日の御言葉は「分別の知恵」という主題で先生が伝えてくださった。

人は生きていく中で様々に分別し、判断しながら生きていく。
こと野球に関しも同様。
分別し、判断する場面があまりにも多い。

最近よく練習するプレーが1アウト・ランナー2塁。
ショート・セカンドの頭上を越えるか越えないかの際どい打球に対してスタートを切るか切らないかの判断が非常に難しい。
落ちると思ってスタートを切ったら捕られてダブルプレー…
捕ると思って戻ったら捕ることができない、進塁できず…

例をあげればキリがないが、これらの分別・判断は何度も反復練習を繰り返すと上手くできるようになる。
本当に重要な試合場面で正確かつ迅速な判断をすることができるように練習を繰り返すのだが、人生も同じではないだろうか。
常日頃から物事の良し悪しを意識して分別し、するかしないかの判断を正確に素早く行なう訓練をしておけば、重要な案件で成功することができると思う。

また、分別・判断に欠かせないことは知識だ。
その分野において豊富な知識を持っていれば容易く分別・判断をすることが可能になる。
例えば、この食品は健康に良いのかどうか、食べるべきかどうかの分別・判断は食品に関する知識を豊富に持っていれば正確かつ迅速にすることができる。
野球においても、様々な生活においても、知識を豊富に蓄える努力が必要だろう。
特に人生については、やはり、御言葉を聞くことで人生について知ることが必要になる。

分別・判断によって成功・失敗が左右されると言っても過言ではない。
今週の御言葉をきっかけにして、一層より勝った分別・判断ができるように努力していきたいと思う。

練習試合を重ねる中で見えてきた課題

練習試合を重ねる中で見えてきた課題がある。
それは、チームとしてのまとまり・連携の部分だ。

各選手の「打つ、捕る、投げる、走る」の部分は冬の練習の中で十分にレベルアップを図ってきた。
もちろん、各選手の能力・技術の向上にはいつ何時も取り組まなければならないが、それ以上に今後はチームプレーに注力しなければならないと思った。

野球はチームスポーツなのだが、正直、個人の力量によるところが多い。
打席に立てば誰も助けの手を差し出すことはできない。
マウンドに上がれば誰かが代わりに投げることはできない。

しかし、ことサインプレーに関してはチームとしての機能が有無を言う。
ナインの理解と呼吸を合わせることが非常に重要だ。
選手各々の意識自体をチームプレーに傾け、サインプレーを入念に確認しなければならないと感じた。
サインのみならず、チーム内での取り決め事も事細かく確認する必要があるだろう。

ここで、非常に難しいことは皆を一つにまとめるということだ。
性格も違う、考えも思考回路もそれぞれ違う…
そんな選手を一つにまとめなければならないため、簡単な作業ではない…

先生は「対話」という手段の重要性を教えてくださった。
対話で絶えず意思疎通することで互いの距離を埋めていかなければならない。
呼吸がぴったり合う段階まで到達してこそ、完成するのがサインプレーだと思う。

選手間、監督・コーチを含めスタッフ間が一つにまとまれるように対話の努力をしていきたい。