「良心」の生きた野球少年たち

先日、娘・息子を連れて公園に出掛けました。
その公園は、今はもう使われていない駅舎をそのまま残し、周辺に遊具と芝生を引いて広々と遊べる趣深い場です。
駐車場も広く、学校終わりや休日にはたくさんの子どもたちが集う場ともなっています。

そのような公園にプラスチックのバットとソフトテニスボールを使って野球をする野球少年たちがいました。
(ボール遊びを禁止する公園が多いですが、その公園は禁止していませんでした。)
私は、彼らの姿を見ながら、「比較的安全なバットとボールを使用しているならば多少人が多くても安全面には問題なく大丈夫だろう、なかなか野球をする場所がないだろうから広い公園で野球遊びができて楽しいだろうな~」と思っていました。

さて、野球少年たちの様子を続けて見ていたのですが、ピッチャーの子が良いボールを投げていたのでバッターの子がなかなか打てていませんでした。
そうして、バッターの子は少し嫌気が差したのか、ノックを打つように自分でトスをあげて、思い切りスイングをしました。
ジャストミートし、打ったボールはとてもキレイな放物線を描き飛んでいきました。
ボールは駅舎の屋根を越え、駐車場の方へ…
次の瞬間…
「ボン」
ボールが駐車場に止まっていた車のボンネットに直撃してしまいました。
瞬間、子どもたちはヤバいと言って身を隠しました。
ボールが直撃した車にはたまたま持ち主のおじさんが乗っていて、何かが当たったことに気が付いて車から降りて来ました。
おじさんは周囲を見渡しながら車を細かくチェックしていました。

私はその状況を注視していました。
野球少年たちは身を隠した後、どこかへ行ってしまいました。
周囲を見渡してみると、その現場から少し離れた所で彼らの姿を発見しました。
その時、私は正直に謝るようにと野球少年たちを教育しようかと思いましたが、彼らの話に耳を傾けてみると、謝りに行こうと言って相談しているようでした。

10分ほど経過した後、野球少年たちは重い足取りで車の持ち主のおじさんのところへ向かいました。
そして、正直に自分たちが車にボールを当ててしまったことを謝っていました。
その車はピカピカでおじさんは相当車を大切にしているようでした。
私は、その子たちの親に電話して何やら弁償でもしてもらわないと困るとでも言うのかもしれない、と思いました。
しかし実際には、野球少年たちが正直に言って来たことと、ボールが柔らかいソフトテニスボールだったことでそれなら大丈夫だと言ってくれたそうです。
「あのおじさんめっちゃ優しくて良かった~」と言いながらこちらの方へ歩いてきました。

この写真はイメージです。

この一件を見ながら、私自身の心と行ないを省みました。
果たして、正直な心、素直な心、生きた良心を持って生きられているのか…

マタイによる福音書18章3節
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

野球少年たちのように生きた良心を持って生きていきたいものです。

チョンミョンソク牧師は10代の時、鏡を見ていて不細工だと思い、見ていた鏡を割ったそうです。
その時、「顔が問題ではない。心が醜ければ顔が醜く見える。」とイエス様から教えてもらい、一層心をよくつくったのだと話してくださいました。
(参考:2024.5.19主日の御言葉「心の畑を肥沃な畑につくりなさい」)

自分の心を磨き、心身ともによくつくっていくことができるよう一層努力していこうと思います!

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