先日、ある少年団の野球チームでの出来事を耳にした。
練習試合での出来事。
試合は同点で最終回を迎えた。
表は点が入らず裏の攻撃となった。
1アウトランナー3塁で一打サヨナラの場面!
ここで読者の皆様が監督ならばどのようにするだろうか?
私ならばサインは出さず、打たせると思うのだが…
実際の出来事は…
「スクイズ」をしたのだった!
サヨナラスクイズで勝ったのだった。
私はこの出来事に驚きを隠せなかった。
どのような方針でチームを運営しているかによって、その都度試合場面においても(練習試合であろうとも)採る行動が変わってくる。
例えば、今日の練習試合では何が何でも勝つ!と言って試合に臨んでいた場合、その目標・目的を達成する手段として最善の策を採るのは当然である。
勝つことが全てだとは思わなくても、勝つことを追求する姿勢から、練習試合のサヨナラの場面でスクイズは有りだろう。
これは私個人の持論であるが、勝つことが全てだという勝利至上主義は危険をはらんでいる。しかし、最近は、勝つことをすべてだとは思わないが、勝ち負けを決めるスポーツの特性上、勝ちを追い求めるという姿勢はあって然るべきであり、勝つことにこだわる中でも面白さ・楽しさを失わないようにしていく勝利追求主義を主張する人たちが増えてきた。
ここから私はさらにコマを進めて、勝利感動主義を唱えてみたい。
(これは私個人が作り出した言葉であり、私個人の見解であるということをご了承いただき、先を読み進めて頂ければ幸いです。)
私が練習試合でのサヨナラバントという出来事を聞いて驚いた理由は、「勝ち方」についてである。
私はバントは否定しない。
打たせるよりも、バントの方が点を取って勝てる確率が高いとなればバントが選択肢になっても良いとも思う。
しかし、それまでの過程の中でスクイズバントで試合を決めてやるぞと毎日毎日命を懸けて練習してきただろうか?
大事な場面で1本を打とう!と思って日々日々努力してきたのではなかったか?
勝利に「感動」という軸を一つ入れてあげることで、スポーツの持つ可能性が大きく広がって来るように思う。
勝っても感動が起こらなかったら残念ではないだろうか?
勝ちに行くが、対戦相手も、見ている人も、感動を呼び起こすような勝ち方を目指したいものである。
そして、神様に栄光を帰し、神様に感動を与える勝利・スポーツの在り方を目指したいものである。