手に刻まれた文字

北京オリンピック、女子カーリングの選手が手にメッセージを書いていた。
なぜ手にメッセージを書いていたのか?
その理由は「試合中に忘れないようにするため」だった。

野球選手もグローブに刺繍したり帽子のつばにメッセージを書いたりしている。
いつも自分に言い聞かせるために自分に必要な核心のヒトコトが刻んであるというわけだ。

さて、女子カーリングの選手が手に書いていたメッセージとは「私はいい選手だ。自信がある。楽しもう!」というものだった。
そのメッセージは彼女たちの競技に対する観を表わしていると思う。
「楽しもう!」のヒトコトに集約されるスポーツという文化芸術に対峙する精神は、勝利至上主義に代表されるように、純粋に文化芸術を謳歌できない現代スポーツに親しむすべての人たちに必要となるだろう。

彼女たちが国内予選の決勝の戦いを振り返るドキュメンタリーがあった。
決勝戦は最後の1投で勝敗が決まるという大接戦だった。
その1投を迎えたその瞬間の心境をある選手はこう振り返っていた。

「これで決めれば私たちがオリンピックに行けるが、同時に相手チームはオリンピックに行く道が閉ざされる。争うのが嫌だ。両チームともオリンピックに出れたら良いのに。」

この心情に私は衝撃を受けた。
彼女らは相手と戦うのではなく、あくまでも相手がいる中で自分たちのパフォーマンスをしているのだと続けて話していた。

この時、私は全然悟れていなかった自分に気づいた。
40年あまりも前から、この境地を超えて、キリスト教福音宣教会のスポーツの中でチョンミョンソク牧師は「相手を恋人のように思ってプレーする」ことを実践してきたことを。
競技をする際には誰もが相手のことを争う敵だと考えていると思う。
競技が終わった後に互いに称えあう姿は目にするのだが、競技中にもその気持ちを、その心を持ち続けている選手は多くはないかもしれない。

また、チョンミョンソク牧師はスポーツを通して絶えず神様の喜ばれるプレーをして神様に栄光を帰すことを忘れない。
「芸術を贈り物として下さった創造主に背を向けるな。それは神の前で大きな失礼を冒すことだ。」ともおっしゃったように、くださった神様に感謝し、栄光を帰するプレーをオリンピックを含めもっと見られる日を望む。

神様を信じて愛して生きるある野球少年が「神様、助けてください」と神様により頼むメッセージをバットに刻んでいた。
打席に入る前にはいつも見て祈っていたのだとか。

人それぞれに自分に言い聞かせるメッセージがあると思う。
私は「ひたすら神様」というヒトコトを忘れずにこれからも野球で神様に栄光を帰したいと思う。

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