ひとつの分野で成功しようとするならば物凄い量の努力が必要だ。
特に運動という世界では本当にそうだ。
人々はある運動選手を見て「持って生まれた才能だ」と言うが、彼の努力する姿を見てないがゆえにそのような言葉が出てくる。
努力という単語の深い意味を知らなければならない。
同じく‘努力’と言うが、努力をたくさんしたことのある人が使う‘努力’と努力をあまりしたことのない人が使う‘努力’とでは完全に異なる意味がその‘努力’の中にあるだろう。
各分野ごとに成功した人たちの生き様の中に入ってみなければ、その深い‘努力’の意味を知ることはできない。
人々は努力が必要だということは分かっている。
しかし、しんどいことを避けたい心のゆえに、努力を惜しむ。
努力というものは目的地まで行くときに経なければならない道であるにも関わらず楽な他の道を探す。
高速道路に入るためには料金所を経なけらばならないように、自分がしたいことには必ず経なければならないことがある。
いくら自分がしたいことだとしてもその中には避けることのできないしんどいことがある。
野球の練習においては、バッティングやピッチングなどの技術練習だけをやって一流の野球選手になれるわけではない。
しんどい体力トレーニングを経なければ相手と戦って勝つことのできる力を身に付けることはできない。
体力トレーニングは本当にしんどい。
避けたい。
しかし、体力トレーニングを経なければ力負けする。
自分の身体を作ることが技術練習のように重要だ。
必ず経なければならない過程だということを分かって、決して避けることなく、体力トレーニングに果敢に取り組まなければならない。
そうして体力トレーニングを経た選手は本当に強い。
誰も助けてくれる人はいない。
自分が努力しなければならない。
これが必ず経なければならない道だ。