「もうこれ以上はできない」と言えるほど何かに取り組んだことがあるだろうか?
器の大きさは人それぞれのため、自分の主観で構わない。
心の底から「もうこれ以上は…」という言葉が出てきたことがあるだろうか?
「もうこれ以上はできない」と言う状況下にある野球選手がいるならば、この文章に出会えるようにしてくださいと哀願する…
正直、野球という世界、勝負の世界は甘くない。
先生は「スポーツで勝つということはそんなに簡単なことではない」とおっしゃったことがあったが、その意味するところは深く深い。
勝負する相手も、ご飯を食べて寝ること以外のすべての時間、スポーツ・野球に打ち込んでいるからだ。
自分の人生を、文字通り「命を」懸けて行なう組織集団の中で勝ち残り、生き残るためには、「もうこれ以上できない」という峠を幾度も越えなければならない。
誰かの慰めを受けたいが、誰も慰めてくれる人はいない。
我が避け所は神様だと告白したダビデの心情だろう…
先生はおっしゃった。
「天の運に乗らなければならない」と。
自分の限界に幾度となく挑戦し、それを乗り越えた末、
鳥肌が立ち、足元が震えるような大歓声の中で己のパフォーマンスを貫いて勝利を勝ち取ることがどうやって人間の為せる業だろうか?
神様を普段信じない人々も「神が望んだ」と告白するほどだ…
「もうこれ以上はできない」と言う状況下で神様に祈ることだ。
「神様、私には『もうこれ以上はできません』。助けてください。共にしてください。働きかけてください」と。
人間の分を果たす時、天の運に乗る準備が整ったのだ。(もちろん過程の中でも神様と共にすることだ。)
「もうこれ以上はできない」と思った時には祈り。
「祈ればシルシが起こる。」アーメン。