「野球を通して」という言葉を用いる意味

野球を通して人間的成長を促す、と言うように、「野球を通して」何かを成そうと言う。
野球をすることそれ自体が目的ではなく、あくまでもそれが手段ということなのだが、「野球を通して」という言葉を用いる意味は深く深いと私は考える。

野球のための人生ではない。人生のための野球だ。

そうやって何度も教育されたことがあるが、実際に野球をやれば野球をすること自体が目的になってしまう。
本当の意味で人生の中に野球というものを正確に位置付けることができている人がどれほどいるだろうかと疑問に思うことが多々あった…

 

先生は周囲の人からサッカーに狂ったと思われるほどにサッカーをして来られ、今もサッカーをされている…
しかし、先生はサッカーに狂ったわけではなく、サッカーが好きだからという理由だけで行なったわけではない。
先生の目的は人々の想像をはるかに超越した天にあった。
詳細は「私は人生を学ぶために運動をする」に譲るが、結局は「サッカーを通して」このように人生を生きるのだと叫ばれているのだ

 

人生を生きる意味を分かっていなければ人生の中に野球というものをどうやって正確に位置付けすることができるだろうか?
「野球を通して」という言葉は人生を生きる意味を分かった者だけが正確に用いることができるのではないだろうか?

以前、そんなにも「野球、野球、野球」というけれど、そんなにも野球が好きなのか?と言われたことがある。
正直、私は野球なしでも十分に生きていける。実際、野球から完全に離れようと何度もした。
しかし、「野球を通して」できることがあり、自分にはその使命があっていると悟った時からはそのような考えはなくなった。
人生の中で野球というモノを正確に位置付けることができたからだ。

今は先生のように「野球を通して」人生を伝えたいという思いでこのブログを綴っている。
もっと学んで「野球を通して」多くのことを伝えていきたい。

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