ハングリー精神

空腹を満たすために、歯を食いしばり、生死を懸ける精神のことをハングリー精神という。
日々、様々な人に出会うが、皆、ハングリー精神で“空腹”を満たそうと努力しているように思う。

格差の激しい国や途上国では空腹の人たちがいる…
彼らは食べるために命懸けで出稼ぎをしたり食料調達のために駆け回ったりしている…

一方、3食しっかりと食べても“空腹”の人たちがいる…
私も摂理に来る前はそうだった…
野球に命を懸けている時はただ野球に打ち込んでいたため、そのような“空腹”を覚えたことはなかった。
しかし、引退後、何をしても満たされない…
日々、生きている感じがしなかった…
食べるものを求めて命を懸けて走り回るように、生きる目的を求めて様々な哲学書や自己啓発本、著名人の自伝などを読み込んだ…
摂理に来てそれらの本すべてを手放したのだが、その数約500冊だった…
ハングリー精神でなければそんなにも多くの本を読むことは不可能だったと思う…

主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。
その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う。
(アモス書8章11-13節)

どうして“空腹”なのか、何に飢え乾いているのか、このアモス預言者が残した言葉にすべての答えが入っている。

私は摂理に出会い、先生が解いてくださった聖書の‘御言葉’を聞いて“空腹”は満たされた。
まるで2000年前にイエス様に出会い、その‘御言葉’を聞いた人たちが満たされたように…

ハングリー精神で生きる中、“空腹”を満たすことができていないすべての人たちに‘この声’が届くことを祈る。

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