「人を育てる」ことには忍耐力が必要。待つ指導の大切さ。

指導者と呼ばれる人たちの
大きな使命の一つが
「人を育てる」こと。

自分を成長させることは
自分がやれば良いため、
自分次第で
何とかなるもの。

しかし、
人を教え、
人の成長を促すこと、
すなわち
「人を育てる」ことは
自分次第で
何とかなるものではない。

ここに
「人を育てる」難しさがあり、
一方で、
「人を育てる」醍醐味がある。

さて、
「人を育てる」ことにおいて、
必要なことは何であろか?

そのうちの一つが
タイトルにもあるように、
“忍耐力”だと思う。

野球の指導者の中で
プロ野球選手を
輩出している監督には
共通して、
この“忍耐力”が
兼ね備わっているように思う。

例えば、
ピッチャーを育てるとき、
ある監督は
打たれても打たれても
微動だにせずに、
交代させない。

打たれてすぐに
交代させれば、
チームの失点は
最小限に食い止められる。

しかし、
ピッチャーを育てることを考えると、
目の前のチームの勝利を優先にはせず、
交代させるという選択肢は取らない。

もちろん、
場合によっては、
すぐに交代させて
ショックを与えるという方法を取る。

しかし、
大抵の場合は
監督が“忍耐”して
交代させない。

目先のゲームは負けたとしても、
そのピッチャーが育てば、
長い目で見たときには、
チームに多くの貢献をしてくれるからだ!

様々な指導スタイル・方法があるけれども、
この“忍耐力”を利かせながら、
待つ指導が大切だと感じている。

~ここからはちょっとマニアックな話~

スポーツ心理学の分野では、
「探索」と言って、
学習者(子ども・選手)が
ある環境の中で
自ら答えを探索する(探す)形で
学習をしていくことが
分かっている。

指導者が
言葉で答えを与えたり、
手足を取って指導したりすると、
学習者が「探索」によって
自分自ら答えを得る機会を
奪ってしまう可能性がある。

(もちろん、
言葉で教えることが必要な時もあるし、
手足を取って指導することが必要な時もあるが…
このバランスは研究が必要だ…)

*待つことについて補足*
指導者が
何もせずに
ただ単に待つのではなく、
例えば、
環境を整備してあげる
(グラウンドやボールなどの用具を揃える)とか、
質問・疑問をぶつけてみるとか、
答えを直接的には与えないという意味で
「待つ」ことが大切だ。

打たれても
ピッチャーを
交代させないのは、
その環境の中で
「探索」させることを
促す狙いがあると思う。

(もちろんその他にも
意図があるとも思われるが…)

「人を育てる」ことについて
野球を例えに挙げて
書いてみましたが、
いかがでしたでしょうか?

・忍耐力
・待つ指導

ぜひとも
実践してみてください^^

最後に
鄭明析牧師より
「指導者」に向けて
激励の一行メンターを!

指導者は夜も昼も努力して学びなさい。

指導者は有能でなければ、学んでやりなさい。
そうでなければ「自分の命」も死なせ、
「他人の命」も死なせるようになる。

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