(続編)
負けた選手たちの姿を見ながら涙がでました…
その姿から滲み出てくる「努力」が見えたからです…
人が努力したことはすべてがすべて願う形で報われないものなのだなぁ…
負けた事実に対する悔しさはどれほどだろうか…
わたくしも経験があります。
ここ一番の大勝負で負けたとき、
正直もうすべてを投げ出して諦めたくなりました…
俺は何のためにやってきたのか?
あの死ぬほど努力してきたことは何だったのか?
みじめな自分…
応援してくれ、期待をかけてくれた人に対する申し訳なさ…
そんな選手のみなさんに鄭明析牧師からのメッセージです。
<現在のもの>だけを見て落胆しないで、
<未来のもの>を見て、希望で、熱心に行ないなさい。
現在の自分を見て落胆するな。
労苦をして作ったら、未来には「希望の体」になり、「輝く存在」になる。
少し休んで、
気持ちを落ち着けて、
現在の自分ではなく未来の自分を考えてみてください。
いつも考えから忘れてはいけないことは、
その“競技”が自分の人生のすべてではないということです。
もちろん自分の人生を懸けて努力していることではあると思います。
しかし、その“競技”が自分の“人生の目的”になっているのであれば、
それは危険信号です。
過去に自殺を図ったオリンピックのメダリストをご存知でしょうか…
遺書には「もう走れません」と書かれていたといいます。
“競技”に向かって努力する姿は本当に美しく偉大だと思います。
しかし、“人生の目的”を考えなければいけないと思います。
神様と聖霊様と御子は、私たちが労苦したのを見て、
ただ見ていることはなさらない。
<未来>に、「時」になれば、すべて報いてくださる。
また、競技に向かう努力をすべてご存知の神様は、
<未来>に、「時」になれば、すべて報いてくださいます!
神様を信じて、未来を考えて、希望を持って、
少し休んで、また走り出したらいいと思います。
人生の道を行く中で、あまりにも急ぎすぎることもせず、
だからと言ってあまりにも緊張を緩めて余裕を持ってやることもするな。
適切に操縦して、歩きもし、走りもし、休みもしながら生きることだ。
これらの鄭明析牧師からのメッセージを受けて、
現在だけを考えることなく未来を考え、
自分の労苦はすべて報われることを信じ、
自分を適切に操縦しながら目的・目標に向かっていってほしいと思います。