“一球”に対する思い

先日、野球の試合が河川敷のグラウンドでありました。

ピッチャーをしたのですが、試合の中で、暴投をしてしまい、暴投したボールが草むらの中へ入って行ってしまいました。

試合中に仲間達が探してくれたのですが、見つかりませんでした。。。

 

試合が終わった後、そのボールを必死で探しました。

数分して、一緒に探してくれていた仲間が「見つからないからもう諦めよう」と言いましたが、僕は鄭明析牧師から教えていただいたように「ボールは命だ!」と思って探し続けました。

 

15分くらい探した結果、、、

見つかりました!

見つけた瞬間、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした!!

試合の疲れが全部吹き飛びました!!!

 

 

さて、聖書を読んでみるとこのような箇所があります。

マタイによる福音書18:12-14
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

『一匹の迷い出た羊』と草むらに入っていったボール“一球”とが重なりました。

 

ボール“一球”がどれほどのものかを少し考えてみると、、、

大切な試合において“一球”で勝敗が分かれることがあります。

また、“一球”によって命を落とすことになることもあります。。。

何が言いたいかというと、“一球”を決しておろそかにしてはいけないということです。

 

ルカによる福音書16:10
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。

“一球”を小さいと思うことなく、“一球”に忠実になること。

“一球”に対する思いが、結局、自分の人生にまで影響を及ぼすと僕は思います。

 

“一球”

これからも“一球”に対して忠実になることを忘れず、“一球”を『一匹の迷い出た羊』と考えて大切にしていきたいと思います。

それと、暴投しないようにもっと練習します。笑。

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