誕生を祝う日に考えたこと

今日はクリスマス、イエスキリストの誕生を祝う日。
韓国においてクリスマスは祝日。
我がチームの練習も休みだった。
日本にいるメンバーがクリスマスに行なわれる生誕礼拝に参加できず、仕事をしているという話を聞いて、悲しい思いになった。

仕事、仕事、仕事…
仕事をしないと生きてはいけないが、大切なモノを失って仕事をするならば本末転倒なのではないか…
使われる身の上、状況上、本当に致し方がなく仕事をするしかないこともあるだろう…
(私自身、一番大切な’その日’に仕事が入り、断ることが出来ず、涙した経験がある…)
しかし、大切なモノを失ってまで本当にその仕事をしなければならないのか?という考えは持っていなければならないと思う…

人々が知らずに生きていることがとても多いが、全能なる神様が送ったメシヤ(キリスト)を知らないで生きている人が本当に多い。
(2020年12月24日主の御言葉)

自分の人生、何に重きを置くかは人それぞれだが、大切なモノが何かを考える暇もなく、日々時間に追われ、仕事に追われる現代社会を考えながらますます悲しい思いが膨らんだ…

喜びの日、待っていたその方がこられた日を感謝で過ごしていたが、就寝前のヒトトキにこんなことを考えた…

いつの間にか歳月は過ぎ、2020年も残り僅かとなった。
自分の人生にとって大切なモノが何かを深く考え、その大切なモノを中心に置く人生へと転換したいものだ!

プロの立ち居振る舞い

先日、初めてプロ野球選手にノックをさせていただく機会に恵まれた。
プロの立ち居振る舞いはやはりプロと言える次元のモノであり、一挙手一投足に芸術性を感じた。
ノックをしながら心の中で興奮し、感嘆した。

私は常日頃からノックを打つ際に気を付けていることがある。
それは「ボールの回転」だ。
試合で打者が打ち損じたゴロ(グランドボール)にはほぼトップスピンがかかっている。
ノックではボールの上を撫でるように打てばトップスピンがかかり、ほぼ試合と同じような打球をノックで受けることが可能になる。
逆にボールの下をこするように打てばバックスピンがかかってしまうため、試合で実際に来る打球とは異なってしまう。
トップスピンは手元でボールが加速するが、バックスピンはボールが失速するため、バックスピンのボールばかりを練習で受けているとトップスピンのボールに差し込まれることになる。
また、トップスピンをかけながら低いバウンドの打球を打つことがなかなか難しい。
私は姿勢を低くし、手首を返して打つようにしている。
いつも試合を意識し、試合同様の打球を受けることができるようにすることが大切だと思う。

 

さて、普段は小中学生を相手にノックをするため、そこまで力を入れる必要はないが、この日に限ってはバックスピンの回転数と打球速度を上げるためにギアを入れ替えた。
彼はこの日の課題をバックハンドに置いていた。
ショートの位置で三遊間の打球を80球ほど受け続けていた。
何回か落とすことがあったのだが、その度に次はどのように動こうかとグローブの動きや足の動きを細かく確認しながら受けていた。
「ラスト」と声があがってから10球以上打った。
納得がいくまで受け続ける姿にまた感嘆した。

 

また、彼が使用するバット選びに同行させていただいたことがあった。
長さや重さ、グリップの太さや芯の位置、カラー・デザインに至るまで100本以上ある中から自分にしっくりくるバットを選んでいた。
時間をかけて何度も触りながら、スイングもしながら3本を選んで今後使ってみると言って購入していた。
チームから提供されるバットが当然あるにはあるが、自分の目で見て、肌で感じて、勝負の場に同行する戦友を選ぶ姿を見ながら、プロという世界に住む人間の立ち居振る舞いを学ぶことができた。

 

人は直接見て学ぶことが大きいことを実感した。
人生のロールモデルになる人の立ち居振る舞いを見れば「ああ、このようにすればいいのだ」と肌で感じることができるからだ。

野球のみならず、人生の目標となる存在を定めたならば、たくさん見て、学んで、その生き様に挑戦していくこと。
「霊肉新しく」と先生がおっしゃってくださったが、そんな挑戦をこの年末から始めて、来年一年を素晴らしく過ごしたいと思う。

悪ふざけが大きな事故に繋がる…

先日、一歩間違えば命を落としかねない事件が起こった。
練習前に選手が悪ふざけをして、凍った川の上を歩いていた…
普段は比較的流れの速い川だが、日中も氷点下の気温が続いたため凍った。
とは言え、人が乗って耐えられるほどの分厚さではなかっただろう…
その選手は氷が割れて落ちた…
現場を目撃してはいないが、後で本人に話を聞いてみると、氷が割れて膝上まで水に浸かったとのこと…
幸いにも流されずに済んだが、震えながら家に帰った…

面白半分で、好奇心で何かをすることがあると思う。
しかし、その末路を全く考えずに行なうことは非常に危険だ…

幼い選手たちはそのような危険予知能力が乏しい。
だから常日頃から教育を繰り返さなければならない。
自分の命を自分で守ることができるようにしてあげなければならない。

今回の一件、大事に至らなくて本当に良かったのだが、良かったでは終わらせてはいけない問題。
練習前の選手の動きまで統制することは難しいし、あまり縛ってはいけないが、目の届かないところで問題が起こらないように教育しなければならないと気を引き締めた。
選手たちを育てて素敵な野球選手に作る以前に選手の命を守る指導者にならないといけないと、この一件を深く心に刻みたい…