【扉を開けるカギ】チョンミョンソク牧師のコーチングによって生まれた初ヒット・ホームラン

「扉を開けるにはカギが必要だ。」

この一文は比喩表現だ。

扉とは難題であり、
開けることは解くことであり、
カギは問題の答えである。

人は生きていく中で様々な難題に直面するが、
その都度、その難題を解いていかなければならない。

その際に必要な答えを得るために奔走するのだが、
答えを得るのは決して易しいことではない。

 

【扉を開けるカギ】と題するシリーズでは
チョンミョンソク牧師のコーチング・御言葉が【難題を解く答え】となったストーリーを紹介する。
紹介するすべての話は実話であり、同類の難題に直面する全ての人たちの扉を開けるカギになると信じてやまない。

 

 

さて、記念すべき第1話は元プロ野球選手の話。

念願のプロ入りを果たし、一軍に上がって間もなくのことだった。

なかなかヒット1本が出ない…

彼はチョンミョンソク牧師のもとを訪ね、指導を仰いだ。

その時、チョンミョンソク牧師は何とおっしゃったか?

 

【扉を開けるカギ】

“공격적으로 쳐라”
“攻撃的に打ちなさい”

(日本語に直訳するとニュアンスがつかみにくいのだが、
果敢に相手に立ち向かっていくような意味合いがこの言葉には含まれている。)

 

彼はチョンミョンソク牧師のコーチングを受け、試合に挑んだ。

その試合で、彼は、なんと、ホームランを放った!
プロ入り初のヒットがホームランとなったのだった!!

 

「攻撃的に打ちなさい」というチョンミョンソク牧師のコーチングが扉を開けるカギとなり、プロ入り後、打撃に苦しんでいた彼の問題を解決することができたのだ!
以後、初ヒットがホームラン!という華やかなプロ野球生活の幕開けと共に、彼が人々の記憶に残る活躍をしたことは想像し難くないだろう。
ハレルヤ!

責任を取る男、責任を取れる男

昨日、一つのドキュメンタリーを紹介してもらった。
分量が1時間のドキュメンタリーだったのだが、ゆっくり見る時間がなく、二倍速で見た。
内容は韓国のプロ野球が始まって間もない1984年の韓国シリーズで大活躍したある投手の話だった。

韓国のプロ野球は1982年に6チームで始まった。
現在は10チームで一つのリーグを作って試合をしている。
メジャーや日本にも多くの人材を送り出している。

彼は韓国プロ野球の草創期を盛り上げた。
1984年の韓国シリーズで優勝のかかった一戦を彼は一人で投げ切って胴上げ投手となった。
優勝直後のインタビューでは記者から今一番言いたいことは何かと問われ「寝たいです」と答えていた(笑)
なぜそのように答えたのか?
その年の韓国シリーズでは第7戦の最終戦までもつれたのだが、そのうちの4戦に先発、1戦はリリーフと計5試合に登板したからだ!
日本のプロ野球でも過去にそのようなエースの連投劇が繰り広げられていた。

彼はメガネをかけていた。
当時、韓国ではメガネをかけている男性は弱弱しいというイメージがあったそうだが、彼の活躍によってメガネブームが巻き起こった。
メガネをかけた投手の漫画が登場したり、彼と同じメガネのフレームが流行になった。
そのメガネのフレームは今も人気があるという。

そんな彼と実際に対戦した人物たちの話がドキュメンタリーの中で出てきた。
彼は他の投手と何が違ったのか?
それは精神、「ピッチャーは力のある限り投げぬくんだ」という精神を確かに彼は持っていた。

この言葉は自分がマウンドに立つならばその試合は責任を取るということだろう。
彼が延長15回の試合も紹介されていた。
相手の投手も完投し、両者200球を超える投球数だった。
今ではあり得ないことだが、自分がマウンドに立った試合は自分が責任を取るという気概は今の時代にも必要な精神だろう。

先生がベトナム戦争に行かれた時、どのような思いだったのかを想像してみる。
先生はベトナム戦争に行くのが嫌だったが、「人が道を行く途中、兄弟たちが血を争うことを見て、その道をただ避けて通ることができるのか?あなたは私(神様)を信じて生きる者として誰よりも先に行って止めないといけないのではないか?個人の争いが大きくなり、民族の争いまでになったあの国で争いを止めにこの民族あの民族が行っているのに、あなたも先頭に立って行ってみなくてはいけないのではないか?あなたが行って人々がどのように戦争をしているのか、彼らと同じく直接経験してみて私に祈り求めなければならないのではないか?*1」という神様からの霊感を受け取ってベトナム戦争行きを決意された。
その時、実際に先生がどのような思いであったかは定かではないが、自分が責任を取るという思いで行かれたのでは…

責任を取ると言えるということは、実際に、責任を取れるだけの力を兼ね備えている証だろう…

責任を取る男、責任を取れる男になろう!という決意を込めて書いた。

 

(*1) 『戦争は残忍だった。愛と平和だ。』(第一巻 p.46)より

自分の出番が来たら…

今日は日曜日、主日礼拝をオンラインで捧げた。
先生は今日も変わることなく全世界に向けて神様の御言葉を伝えてくださった。

今日は「時」について伝道の書3章を参照しながら教えてくださった。
特に記憶に残っている御言葉は「時が来たら与件が良くなかったとしても「時」だけ見て強く動かないといけない。動けば神様が行なってくださる」という内容の御言葉。

 

野球に落とし込んで考えてみた。
監督が「明日先発で行くぞ!」と言われたらどうするだろうか?
あるいは試合中に「次、代打行くぞ!」と言われたらどうするだろうか?
自分の出番が来たわけだが、アタフタして「え、無理です…」などと言えるだろうか?
自分の出番、すなわち自分の時が来たら置かれている状況がどうであろうと突き進んでいかなければその時・機会を掴むことはできない。
このようにこうだということだ。

 

神様の時はどのようにしたら分かるだろうか?
神様の御言葉の中で知ることができるのだ。
大局的な時代の流れ、歴史という壮大なスケールを誰がどうやって完全に俯瞰することが可能だろうか?
神様の御言葉でのみ、その「時」を掴むことができるのだ。

時は機会だ。時を逃したらできない。
(2021年1月17日主日の御言葉)

アーメン。