「時間をかけて指導する」という愛の表現

日本で言えばエリート教育と位置付けるに値する練習プログラムで選手を育てることに熱を注ぐ毎日が続いている。
平日学校が終わってから4,5時間の練習時間を確保し、夕食を挟んで、夜寝る直前まで練習することもある。
私自身、コーチとして倒れそうになることも正直あるが、これほどまでに選手に手をかけてすることができる原動力は何だろうかと不図考えが深くなった…
一流の選手に育て上げたいという思いもあるが、それ以上に選手たちへの愛情がなければここまで時間をかけて指導できない、という考えに辿り着いた。
子どもを育てる時、苦労することが本当に多いが、子どもへの愛情があるからその全てを乗り越える母親の心情とまでは言えないかもしれないが、そのような愛情が原動力だと思う。

先生は、本当に多くの時間をかけて、御言葉で様々に指導してくださっている。
祈り、御言葉を受け取り、御言葉を伝える…この過程全てを時間で計算したら、おそらく母親が子どもを見る以上の時間だろう…
時間をかけることは、別の言い方をすれば、愛するということではないだろうか…

そのようなことを考えていたら、日頃の疲れも何でもないように感じてきた。

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。(ガラテヤ人への手紙6章9節)

刈り取る時は非常に待ち遠しい。
たゆまず、うみ疲れず(うんざりして疲れず)、その行ないを続けることは決して易しいことではない。
しかし、愛情ならば可能だと思う。
また力を出して明日も選手たちと向き合いたい。

自分に合うモノを分別する方法~一度試してみる~

今日、とあるプロ野球選手と遊撃手のスローイングの方法について議論をした。
彼は肘を肩よりも上にあげて弓を引くように手肘を引いてスローイング(以下、スローイング①)するスタイルだったがもう少しコンパクトにテイクバックを取って肘もそれほど高く上げずにスローイング(以下、スローイング②)してはどうかとアドバイスをもらったとのことだった。

スローイングは速さと正確性の相反性を克服していく作業に加え、受け手が捕球しやすいボールの回転を意識しないといけないと思う。
彼はスローイング②を試してみたところ、肘を引かない分だけ速いボールを投げることはできないが、動作自体が速くなるに加えて正確性とボールの回転は良くなった気がするとの感想だった。
ただし、スローイング①を全く使わないというわけではなく、三遊間の深いボールを処理して送球する場合には必要だと思うとのことだった。

私は彼に何かアドバイスを送れるような水準ではないが、スローイングを考察するために役立てられる材料を提供することはできると思い、海外の選手の映像資料を提供した。
スローイングをどうしたらよいかという結論を出すというよりかは、自分に合ったモノを分別できるようにするのがコーチの役割ではないか、と思った。

彼の良いところは一度試してみるという精神だ。
自分に合うモノかどうかは、服を買う時に試着するように、一度試しにやってみたら良い。
トライ&エラーの繰り返しの過程で自分にピッタリ合うモノが見えてくるからだ。
「分別の知恵」は一度試してみるというところにどうやらありそうだ。

ひとつ一つ、じっくり・ゆっくりとやっていくこと

目標に向かう過程において、目標を達成したい願望が強ければ強いほど急いでしまう…
春の甲子園が始まっているが、全国大会優勝という目標を設定し、チームを導いているが、チームの水準を引き上げようとつい行き過ぎた指導をしてしまうことが起こりえる。
これまでいくつもの学校で起きた事件の数々が物語っている…

タイトルにもあるように、ひとつ一つ、じっくり・ゆっくりとやっていくことが答えだ。
もちろん、任期があり、短時間の中で結果を求められる厳しい世界であるがゆえ、大概は急ぐだろう…
しかし、何事も飛躍はない。
一度では困難極まりない。
段階を踏まなければならない。

同じことを3度4度指摘しても変わらない選手がいても、5度6度説明する忍耐が必要な時もある。
消化力が乏しい選手がいても、時間をかけて具体的に一つずつ手ほどきしてあげなければならない時もある。
そのようにじっくりと指導した選手は成長した後が強い。

私の好きな箴言の一句を紹介する。
急いで得た富は減る、少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。(箴言13章11節)

富だけでなく、全ての物事がこのようにこうだと思う。
ひとつ一つ、じっくり・ゆっくりとやって得たものは簡単には奪われない。

選手への期待が大きいあまり、指導者が急ぐようなことがあってはいけない。
いつもひとつ一つ、じっくり・ゆっくりと教えながら選手の成長を忍耐強く見守ることのできる指導者になりたいと思う。