「叱責よりも称賛だ」

「叱責よりも称賛だ」
このヒトコトを聞いて以来指導スタイルを変えてきたつもりだったが、いつの間にか叱責することが多くなっていたと反省している。
先生は「怖くしなくても怖いと感じる」とおっしゃり、叱責したつもりがなくてもきつく感じることがある。
もちろん、間違ったことは正してあげないといけない。
何が正しいことなのか、学んでいない者は分からない。
叱責ではなく、人格的に指摘することだ。

「叱責」というものを選択肢自体から無くしてしまうこと、自分の辞書の中から消してしまうこと。
祈って霊感を受けたこの答えを持って指導にあたりたいと思う。

昨日はさすがに堪忍袋の緒が切れる直前だった。
「忍耐の限界が来た時にもう一度耐えること」という天の方法が自分を救った。
幼い選手たちは善悪の分別が付かないことが多いため、その部分を引き算して接したら上手くいった。
やはり御言葉が答えになったのだった。

指導者も絶えず学び、絶えず研究しなければならない。
「叱責よりも称賛だ」というヒトコトもどうやって指導の場面で使っていくのか、もっと研究したい。

反応速度を高めよ!

一昨年、陸上界でスタートの問題が取り上げられた。
人間の反応速度は科学的にはどれほど速くても0.1秒、それよりも速くスタートを切った場合は失格にされる。
そんなルールの中、日本記録保持者のある選手が0.99秒でスタートを切って失格になった。
その選手は納得がいかず、記録モニターを眺めていた。
訓練によって、科学の知見を打ち破る0.1秒以内での反応が可能になったのかもしれない。

さて、神経系は訓練することによって鋭利に発達するようになる。
反応速度を高めよ!と題したが、最近我がチームの選手たちに強調していることのひとつがこれだ。
反応、守備で打球に対する反応、ランナーでゴー・バックの反応などなど。
一番基本的なところで言えば、次にすべきことが全体に指示されたら素早く反応して直ちに行なう反応だ。

 

昨日、選手たちにこのような話をした。
「とある会社がある。
その会社の社長が『書類を作ってくれないか?』と社員Aにお願いをした。
社員Aはその一言を聞いてすぐに行なって書類を仕上げて提出した。
またある時、その会社の社長が『書類を作ってくれないか?』と社員Bにお願いをした。
社員Bは今の自分の仕事を優先して社長のお願いを後回しにした。
結局次の日に提出した。
社員Aと社員B、会社の社長はどちらを登用すると思うのか?」

答えは火を見るよりも明らかだろう。
もちろん、書類の質もあるとは思うが、自分の願いに対して即座に反応して行なう社員を登用するだろう。

この話に続けて、
「野球の監督も会社の社長と同じ心だ。
監督の出す指示に対して素早く反応する選手を起用するだろう。」

(信仰のことで言えば、御言葉を聞いて直ちに実践する人とそうでない人の差は大きく大きい。)

 

反応速度は訓練によって高められる。
直ちに実行することを習慣化したいものだ。

反応速度を高め、有能な選手たちに成長することを願う。

「もうこれ以上はできない」と思った時に読む文章

「もうこれ以上はできない」と言えるほど何かに取り組んだことがあるだろうか?
器の大きさは人それぞれのため、自分の主観で構わない。
心の底から「もうこれ以上は…」という言葉が出てきたことがあるだろうか?

「もうこれ以上はできない」と言う状況下にある野球選手がいるならば、この文章に出会えるようにしてくださいと哀願する…

 

正直、野球という世界、勝負の世界は甘くない。
先生は「スポーツで勝つということはそんなに簡単なことではない」とおっしゃったことがあったが、その意味するところは深く深い。
勝負する相手も、ご飯を食べて寝ること以外のすべての時間、スポーツ・野球に打ち込んでいるからだ。
自分の人生を、文字通り「命を」懸けて行なう組織集団の中で勝ち残り、生き残るためには、「もうこれ以上できない」という峠を幾度も越えなければならない。
誰かの慰めを受けたいが、誰も慰めてくれる人はいない。
我が避け所は神様だと告白したダビデの心情だろう…

先生はおっしゃった。
「天の運に乗らなければならない」と。
自分の限界に幾度となく挑戦し、それを乗り越えた末、
鳥肌が立ち、足元が震えるような大歓声の中で己のパフォーマンスを貫いて勝利を勝ち取ることがどうやって人間の為せる業だろうか?
神様を普段信じない人々も「神が望んだ」と告白するほどだ…

「もうこれ以上はできない」と言う状況下で神様に祈ることだ。
「神様、私には『もうこれ以上はできません』。助けてください。共にしてください。働きかけてください」と。
人間の分を果たす時、天の運に乗る準備が整ったのだ。(もちろん過程の中でも神様と共にすることだ。)

「もうこれ以上はできない」と思った時には祈り。
「祈ればシルシが起こる。」アーメン。