野球の醍醐味の一つは“ワクワク感”ではないかと思います☆
具体的には、打球の音や雰囲気を含む球場での臨場感や興奮を感じることです。
臨場感や興奮を感じるという点では、野球は見ているだけでも十分に面白いと感じます。
しかし、見るのとやるのとでは全く違います。
経験者は分かると思いますが、実際に野球やってみると非常に難しいと感じることが多いです。
野球をやる人たちは多くの時間をかけて練習をします。練習の内容も多様です。
また、未経験者にとっては理解し難いルールや作戦も多々あり、緻密な練習を繰り返さなければ成しえないこともあります。
私は大学4年生までの17年間、プロを目指して野球に向き合って来ました。
大学野球ではプロと同じく木製バットを使用して打撃を行います。
高校野球では金属バットを使用しているため、打者にとっては高校から大学に上がると難易度が格段に上がります。
金属バットはある程度のところに当たれば遠くに飛びますが、木製バットは正確にバットの芯に当たらないと遠くに飛ばず、場合によっては折れてしまうこともあります。
また大学野球では、(チームにもよりますが、)自主性を重んじるところが多く、自分自ら積極的に練習に取り組んでいかなければなりません。
練習の内容にも創意工夫が求められるし、高校で野球を辞めず、より野球に情熱を持っている精鋭たちが大学に残ってプレーするため競争率も高いです。
私の大学には120名近い部員がいました。その中には甲子園球児も10人程度いました。
その競争の中で私は野球のプレーに磨きをかけ、レギュラーを取ることに必死でした。
正直、野球の醍醐味を考え、感じながらプレーする考える余裕はありませんでした。
野球をやるにあたり、雰囲気や派手なスキルに目が行きがちなのですが、
私は、摂理に来て以来、「誰とやるか」、そして「どんな意識でやるか」ということもとても大切だと感じるようになりました。
同じく信仰を持つ大切な仲間たちと切磋琢磨しスポーツ・野球をできることに今は大きな喜びを感じています。
高い技術レベルを持つ者同士でプレーすることも面白いけれども、未経験の人だとしても「同じ志を持つ人」と共にスポーツ・野球をできることにもっと大きな甲斐を感じています。
野球はチームスポーツであり、チームワークが大切です。
未経験者であったり、技術のレベルに差があると一つになってプレーすることが難しいと思います。
しかし、「同じ志を持つ人」が集まれば、経験や技術に関わらず、一つになってプレーするという奇跡を見ることができます。
そういう仲間と共にプレーできることが野球の醍醐味の一つだと私は思います。
今日は野球の醍醐味について書きましたが、野球の奥深さは計り知れません。
続けて研究しながら、野球の醍醐味を伝えていけたらと思います。