スポーツで共にしてくださる神様?!!

僕が信仰を持つようになってすぐのころのこと、
先生から神様はいつも共にしてくださっていることを教えてもらったが、
実感と確信にまでは至れていなかった。

 

そんなとき、
スポーツを通して神様が共にしてくださっていることを強く感じるようになった。
大きく2つを今日は紹介する。

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辛い時、苦しい時に歯を食いしばることも大切だが…

スポーツ選手の気質、中でも、特に、「辛い時、苦しい時に歯を食いしばること」は形容のしようがないほどに素晴らしく美しいです。

その気質によって数々の困難艱難を乗り越えて打ち勝って、
人々の心を感動させる大舞台での活躍をして遂げるスポーツ選手・アスリートたちには頭が上がりません。

そういう自分もそのように努力してきたし、
今現在も指導者として辛く苦しいことも歯を食いしばって耐えて打ち勝っています。

 

しかし、それでは心情の限界を迎えることを知るようになりました。

 

人は努力したことに対して何らかの報いがあるときに虚しくありません。
でもその努力に相当する報いがない時、一番辛く、苦しく、心情のやり場がなくなります。

命を懸けて努力したとしても、そのすべてが報いられることはこの世の中では正直少ないし、
打ち勝った結果、残るものがないと、本当に極度の心情の苦痛を味わいます。

 

だから、大切なことは、その心情を真に分かつ「相手」を見つけることです。

 

誰にも話すことのできない胸の内を真に分かつことのできる「相手」はいるのか?

(これは僕の永遠なテーマだと思ってきました。)

 

 

先生はあるとき、
衝撃と苦痛があったけれども、堅固にやるべきことをやったそうです。
そして、「私は誰が慰めてくれるだろう?」と考えたそうです。

みなさんにもそういう時があると思います。

その時、<大きい手>が「私の手首」をぎゅっと握っている幻を見たそうです。
それは神様の手でした…

 

たくさんのモノを抱えているスポーツ選手たち。
どんなに強い選手でも慰めが必要な時があります。
そんなとき、手を取ってくださり、慰めてくださり助けてくださるのが神様だと教えてくださいました。

命懸けで自分の夢・目標に向かうみなさんの手を取ってくださる神様。
先生が教えてくださったことは、「対話をしてみなさい」ということ。
自分のことを素直に神様に話してみること。

辛い時、苦しい時に歯を食いしばることも大切だけれども、
誰にも言えない胸の内を神様に話してみてはどうでしょうか?^^

 

努力は報われる!

努力は報われる?

夏の風物詩「甲子園」が迫ってきた。

甲子園を楽しみにしている多くのファンにとっては鼓動の高鳴りを感じていることだろう。

今年も高校球児たちの白球を追う姿は多くの人たちに感動を与えることを期待している。

 

皮肉なものでこの夏を「勝利」で締めくくることのできる高校は全国でたったの1校、優勝した高校だけ…

「勝・負」にすべての基準を置いてしまうと、「努力が報われる」高校はたったの1校という悲劇…

 

ちなみに私の高校野球の最後の夏は県大会の決勝で負け…

ひたすら甲子園に出ることだけを考えて過ごしてきた高校3年間であったがゆえに、

今まで努力してきたことが全部無駄だったと考え、ひどく失望した…

私は命がけで練習毎にバッティングピッチャーを務めていたのが、
ベンチ入りを果たすことができず、報われなかったという思いが一際強かった…

 

 

行なった通りに報いてくださる神様

野球はベンチ入りの人数・試合に出られる人数が決まっているため、
どれだけ努力したとしても試合に出られない・ベンチにすら入れない場合が当然ある。

その時の悔しさ、いたたまれなさは言葉では表現できない…
特に一生懸命に努力した人にとっては…

 

私は極度の虚しさを感じていた…
「自分のことを分かってくれる人はこの世の中には一人もいない」とまで考えることもあった…

 

しかし、摂理に来て、その虚しさは解かれるようになった!
自分の労苦が絶対に無駄にならないところ、それが摂理。

 

私は毎日野球場に足を運んでお祈りをした。
その際「こうして毎日野球場に足を運んでお祈りしているけれども、本当に意味があるのだろうか?神様は聞いてくださっているのだろうか?」と疑問に思った。

続けて100日間、毎日お祈りを野球場で続けた。
すると、神様が万物を通して応えてくださった。

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写真では小さいが、ハートマークの形をした雲を見つけた。

「あなたの行ないを愛で見ている」という神様の啓示だった。

< マタイによる福音書6章4節>
隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

 

「正直者が馬鹿を見る」という言葉があるが、
このようなことが実際にはあり得るのが現状…

 

しかし、摂理では絶対にそういうことはない。
神様に対して行なったことはいつか何らかの形で神様が報いてくださる。

 

自分の努力が報われなくて無念な思いを経験している人がいるならば、摂理に来てみてほしい。
その努力が絶対に無駄にはならないことを感じるだろう。