鄭明析牧師のもの凄い哲学

鄭明析牧師の生き様の裏側にはもの凄い哲学があり、
鄭明析牧師の箴言を見てみるとその一様を見てとることができる。

人生、すばらしく作ることに終わりはない。
70歳を超えてもなお、自分を作り続け、発展し続けている鄭明析牧師。
日々新しい歌、詩、様々な作品を生み出す姿を見ながら、本当に終わりがないと思わざるを得ない。
自分も、日々、挑戦!

開発したら、地獄の環境も天国の環境になる。
田舎、電気も通っておらず、何もなかった月明洞を全世界の人たちが集まる聖殿に開発されたことが一番大きなしるし。
自分の環境についてああだこうだと不平不満を漏らすのではなく、天国の環境に作ってしまう精神を持ちたいものだ!

最も尊い奇跡とは何か?
あなたの心が行ないが変化することだ。

人々は「奇跡」というと、何か空からお金が降ってくるような、そういうモノを描く。
ましてや、神様!となれば…
けれどもそうではなく、心と行ないの変化が最も尊い奇跡なんだと。
確かに、人の心と行ないが変化するのは本当に難しい。
自分ひとりをとってみても…
自分の心と行ないを変化させる奇跡を毎日起こしていこう!

監獄に入った理由は濡れ衣(ぬれぎぬ)

最近、聖書を一生懸命読んでいる。
分厚い本との戦いには若干の苦戦…

 

聖書、今から何千年も前に書かれたものなのに、
今現在へのメッセージがその中に書かれていることは本当に驚きだ。

「歴史は繰り返す」と言われるが、本当にそうで、
聖書を通して歴史をしっかりと学べば、過去の歴史と同じ過ちを犯すことを避けることができるし、
もしろん、成功の歴史をさらに進めていくことができる。

さて、昨日読んだ聖書の内容を紹介したいと思う。

ヨセフという人物。
彼は兄弟に嫉まれ、エジプトに奴隷として売られるようになってしまった。
しかし、主が共にされ、エジプトで栄えるようになり、王のそばに使えるようになった。

そんなある日、王の妻がヨセフに関係を求めて近寄った。
しかし、ヨセフは拒んだ。何度も。
そんなヨセフに怒りを覚え、ヨセフの着ていたものをもって「私を犯そうとした!」と王の妻は王に告げた。
そうしてヨセフは監獄に入れられるようになってしまったのだ。

(かなり簡潔に書いたので、詳しくは創世記の39章をご覧いただけたら。)

そう、タイトルにもあるように「監獄に入った理由は濡れ衣」だった。

ヨセフには罪がない。
しかし、王の妻のでっち上げによって濡れ衣を着せられることとなったのだった…

 

この歴史の出来事から自分たちは何を学ぶべきだろうか?
今現在に何の教訓をもたらしているのだろうか?

 

冤罪…

 

冤罪について少し調べていたら心が痛くなった…
こちらの記事、時間があれば是非ともご一読いただけたら…

「時間が止まった私、冤罪が奪った7352日」
https://news.yahoo.co.jp/feature/832

 

真実なものは必ず明らかになると僕は信じている。

人はどんな時に無念な思いをするのか?
それは認められない時、だと思う。

学校でも、会社でも、自分が認められない時には本当に無念だ…

自分の主張は間違うこともあるから認められないこともある。
でも、本当にやっていないという事実を語っても認められない時にはどうしたらいいのだろうか…

「やっていないものはやっていない。」
それ以外に口から出て来る言葉があるだろうか…

 

先生について。
僕は、その真実な言葉と行ないを見てついていく。

「摂理の鄭明析牧師10年 鉄のカーテン逆境学ー台湾有力紙 新新聞に掲載」
https://providence-blue.com/about-providence/jungmyungseok/28402

真実なものは真実なものとして認めるられる社会になることを祈る。