ボールが頭部に直撃

バッティング練習中のことだった。
2か所でバッティングをしていた。
私はバッティングピッチャーを務めていたのだが、打球がネットのフレームのパイプ部分に当たって跳ね返り、私の頭部に直撃した…

ネットの配置が悪かったわけではなかった。
確率的には何万分の1だろうか…
事故というものはそういうものだ。
自分が予想だにしない状況下で起こりえる。

「自ら気をつけなさい」と鄭明析牧師はいつも話されるが、
どんなことをするにしても安全第一、本当に気をつけなければならないと緊張の帯を締める機会となった。

(衝撃はかなり強かったが、幸いにして少し腫れただけだった…守ってくださった神様に感謝…)

 

硬式野球の練習中に命を落とすケースが少なくない…
幼い選手たちはどれほど危険が伴うのか分かっていないことがある。練習中に集中力が途切れることもある。
事故が起こらないように、気を引き締めるように檄を飛ばすことも、”命を守るため”には必要になってくる。

指導者はもしもの場合に備えて、応急処置の方法などは心得ておかなければならない。
アイシングの仕方やAEDの使い方など、必ず知っておかなければならない。

尊い選手たちを安全に指導することができるように一層努めていきたいと思う。

長所と短所

人には長所と短所があると思う。
長所は生かし、短所を直すことができればどれほど良いだろうか?

私は野球の指導をしながら、気を使っていることがある。
それは選手の短所ばかりを指摘しないようにすることだ。
短所ばかりを指摘してしまうと、毎日が指摘・指摘・指摘の連続で選手が苦しくなってしまうからだ。
特に年齢が幼い場合にはその指摘に嫌気がさして野球が嫌いになってしまう…

逆に、短所を全く指摘しないことも良くない。
その短所によって、持っている長所が死んでしまう場合があるからだ。

あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
(箴言27章5節)

その人のことを本当に思うならば指摘してあげることだ。

しかし、指摘をするか、しないか…このバランスは非常に難しい。
私はこのことで指導の在り方について悩みに悩んでいた…

鄭明析(チョンミョンソク)牧師は説教の中でこのようにおっしゃった。

ただ見たら普通に見え、何でもないように見えても、探してみたら「極的な長所」があります。「持って生まれたもの」があります。
しかし「極的な短所」に「長所」が遮(さえぎ)られています。
みんな「時代の御言葉」でつくってこそ、<持って生まれた貴重なもの>と<長所>を貴重に使うようになります!
(2020/11/08 主日の御言葉より)

短所に長所が遮られているという認識を選手たちが持てるようにすれば、喜んで短所を直していくのではないだろうか。
「長所を生かすために、短所を直すと良いよ」と、指摘する時には長所を添えるようにしたら良いのではないかと指導のヒントを得た。

人がつらく思い、難しく思うことの中の一つが「自分の短所を直し解決すること」だと鄭明析牧師はおっしゃったが、
長所が輝くようになる希望を持つことができれば、自分の短所を直し解決する作業も希望に感じると思う。

人は誰でも指摘をされれば気分が良くはない…
しかし、その指摘が自分の運命を好転させる契機になるかもしれない…ということは頭の片隅に入れておかなければならないと思う。

指摘する側に立つ私の指摘が全て正しいとは思わない。
だからこそ指導者という立場の人間は日々研究し努力しなければならないと深く戒めている。

指導者のエゴは自分の思い通りに人が動くようになること…
自分の思い通りに人を作るのではなく、本当にその人のことを思い、遮られている長所を見出していく真実な指導ができるように努めていきたいものだ…

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
(コリント人への第一の手紙13章1節)

選手のことを本当に貴重に思って、短所を直し、長所を輝くようにする野球指導者が多く誕生することを願ってやまない。

新たな出発

久しぶりの大会に向けて出発したのは朝7時だった
朝日がいつの日よりも鮮やかに見えた
新たな出発の象徴だという霊感を受けた

チームはしばらくの期間、練習をすることができなかった
大会にも出場できずに非常に苦しい時間を送った

野球ができるということは当たり前のことではない、ということを再認識した

大会に参加したのは約2カ月ぶりだった
とても長い歳月に感じたのはその期間の困苦がひときわだったからだろう

新たな出発
何か環境が変わったわけではない
でも確かに変わったものがある
それは心の在り方

いくら新たな環境を得たとしても心新たにしなければ何も変わらない
環境は同じでも心が変わればすべてが新しく見える
同じ朝日がいつの日よりも鮮やかに見えたのも心を新しくしたからだ

先生は野心作を立てるとき、5回も岩が崩れ落ちた
でも6回目に完成させた
「岩崩れても私の心は崩れなかった」と先生は名言を残された
人は心がそれほどにも重要だということだ
箴言4章23節にもある通りだ

 

久しぶりの試合には勝利することができた
一喜一憂はできないが、やはり、試合で勝利する味があるからどんな試練にも打ち勝てるのだ

人生の中で、良いことは10%
でもその良いことがあるから残りの90%を乗り越えていくことができる
これもやはり先生の教え

人は苦しい時にその本性が出る
追い詰められたその時に出てくるその言葉こそがその人となりを表す
自分自身を省みるのが精一杯な状況の中でも人を省みる度量を備えたいものだ

先生が幼い時、あまりにも貧しく、空腹の毎日を過ごす中、弟たちに学校で出るミルクを持って帰ったという
自分はまだまだその域からほど遠いことを痛感する

 

新たな出発と題して徒然なるままに書いた
心を新たにし、ひたすら前進していきたい