雪が舞う中での練習

昨日、練習の途中で雪が降り始めた。
視界は若干遮られるがボールはしっかり見えていた。

雪は止む気配がない
練習も中断する気配はない
淡々とノック

雨風吹雪だったとしても、どんな状況・環境だったとしても決して歩みを止めないこと。
ちょっと雨が降ったら止め、ちょっと風が吹いたら止め、ちょっと雪がちらついたら止め…
そのようにしていたらまともに練習ができないだろう…

結局、練習が終わるまで雪は止まなかったが、練習はいつもと変わらず定時まで、最後までやった。
選手も監督コーチも最後まで歩み止めなかった。

環境を超越して行なう精神が自分の限界を突き破っていく。
成功しようと思ったら「それくらいのこと、何でもない」と吹き飛ばしてしまう気概がないといけないと思う。

先生が月明洞を開発された時の映像、雪の中で岩を積むその姿が思い浮かんだ。

「雨風吹雪、患難も時には来るが、スリルがあり、大胆で勇敢だった」

このように歌いながら。困難なことをスリルと思い、大胆で果敢に生きるその生き様を見習い、実践していきたいものだ。

誕生を祝う日に考えたこと

今日はクリスマス、イエスキリストの誕生を祝う日。
韓国においてクリスマスは祝日。
我がチームの練習も休みだった。
日本にいるメンバーがクリスマスに行なわれる生誕礼拝に参加できず、仕事をしているという話を聞いて、悲しい思いになった。

仕事、仕事、仕事…
仕事をしないと生きてはいけないが、大切なモノを失って仕事をするならば本末転倒なのではないか…
使われる身の上、状況上、本当に致し方がなく仕事をするしかないこともあるだろう…
(私自身、一番大切な’その日’に仕事が入り、断ることが出来ず、涙した経験がある…)
しかし、大切なモノを失ってまで本当にその仕事をしなければならないのか?という考えは持っていなければならないと思う…

人々が知らずに生きていることがとても多いが、全能なる神様が送ったメシヤ(キリスト)を知らないで生きている人が本当に多い。
(2020年12月24日主の御言葉)

自分の人生、何に重きを置くかは人それぞれだが、大切なモノが何かを考える暇もなく、日々時間に追われ、仕事に追われる現代社会を考えながらますます悲しい思いが膨らんだ…

喜びの日、待っていたその方がこられた日を感謝で過ごしていたが、就寝前のヒトトキにこんなことを考えた…

いつの間にか歳月は過ぎ、2020年も残り僅かとなった。
自分の人生にとって大切なモノが何かを深く考え、その大切なモノを中心に置く人生へと転換したいものだ!

プロの立ち居振る舞い

先日、初めてプロ野球選手にノックをさせていただく機会に恵まれた。
プロの立ち居振る舞いはやはりプロと言える次元のモノであり、一挙手一投足に芸術性を感じた。
ノックをしながら心の中で興奮し、感嘆した。

私は常日頃からノックを打つ際に気を付けていることがある。
それは「ボールの回転」だ。
試合で打者が打ち損じたゴロ(グランドボール)にはほぼトップスピンがかかっている。
ノックではボールの上を撫でるように打てばトップスピンがかかり、ほぼ試合と同じような打球をノックで受けることが可能になる。
逆にボールの下をこするように打てばバックスピンがかかってしまうため、試合で実際に来る打球とは異なってしまう。
トップスピンは手元でボールが加速するが、バックスピンはボールが失速するため、バックスピンのボールばかりを練習で受けているとトップスピンのボールに差し込まれることになる。
また、トップスピンをかけながら低いバウンドの打球を打つことがなかなか難しい。
私は姿勢を低くし、手首を返して打つようにしている。
いつも試合を意識し、試合同様の打球を受けることができるようにすることが大切だと思う。

 

さて、普段は小中学生を相手にノックをするため、そこまで力を入れる必要はないが、この日に限ってはバックスピンの回転数と打球速度を上げるためにギアを入れ替えた。
彼はこの日の課題をバックハンドに置いていた。
ショートの位置で三遊間の打球を80球ほど受け続けていた。
何回か落とすことがあったのだが、その度に次はどのように動こうかとグローブの動きや足の動きを細かく確認しながら受けていた。
「ラスト」と声があがってから10球以上打った。
納得がいくまで受け続ける姿にまた感嘆した。

 

また、彼が使用するバット選びに同行させていただいたことがあった。
長さや重さ、グリップの太さや芯の位置、カラー・デザインに至るまで100本以上ある中から自分にしっくりくるバットを選んでいた。
時間をかけて何度も触りながら、スイングもしながら3本を選んで今後使ってみると言って購入していた。
チームから提供されるバットが当然あるにはあるが、自分の目で見て、肌で感じて、勝負の場に同行する戦友を選ぶ姿を見ながら、プロという世界に住む人間の立ち居振る舞いを学ぶことができた。

 

人は直接見て学ぶことが大きいことを実感した。
人生のロールモデルになる人の立ち居振る舞いを見れば「ああ、このようにすればいいのだ」と肌で感じることができるからだ。

野球のみならず、人生の目標となる存在を定めたならば、たくさん見て、学んで、その生き様に挑戦していくこと。
「霊肉新しく」と先生がおっしゃってくださったが、そんな挑戦をこの年末から始めて、来年一年を素晴らしく過ごしたいと思う。