1872年は日本の野球界の歴史が始まった年

日本では、いつ・どこで・誰が最初に野球を始めたのだろうか?

 

この質問に答えられる野球人は多くはないように思う。
私も野球を始めて24年経った最近までこの質問に答えられなかった。
いや、この問いかけを投げかけられたことがなかった。

何事もルーツを知ることは大切なことだ。
目の前にある、日常の中で当たり前になっていること一つをとっても、そのルーツを知れば実に特別な営みであることを悟るようになるものだ。

日本に野球が来たのは、タイトルにもある通り、1872年のこと。
日本で最初に野球をしたのはアメリカ人のホーレス・ウィルソンだと言われている。

(説は様々にあるのだが、多様な参考文献を参照しながら日本の野球の歴史を紐解いた佐山和夫氏の著書『明治五年のプレーボール』を元にする。)

ホーレス・ウィルソンという人物は日本に教師として派遣された。
学生たちと交わる中で野球を学生と共にしたのが最初だ。
一番最初に野球をした舞台は学校だという事実は驚きだ。

また、最初はノックのように打ったボールを取るという形で野球をしたという。
この事実を知った時、私はチョンミョンソク牧師が復活期を迎えて初めて野球をなさった時のことを思い出した。
チョンミョンソク牧師ノックのような形で会員たちに打ってボールを取るというゲームを楽しくしてくださったのだった。
やはり歴史の主人はすべての歴史を知っていたのか…と考えると鳥肌が立った…

 

さて、ホーレス・ウィルソンという名は2003年に日本の野球界において、野球殿堂入りしている。
野球殿堂は、日本の野球の発展に大きく貢献した方々の功績を永久に讃え、顕彰するために1959年に創設られたそうだ。(野球殿堂博物館ホームページより)

?!

日本に野球を伝えた人物が日本で野球殿堂入りを果たしたのは、野球殿堂が始まって以来、44年経った後のことだった…
野球殿堂が始まった第一号は当然、ホーレス・ウィルソンでなければならなかったのではなかったか…

佐山氏の言葉を借りるならば、自分が日本の国技である相撲をとある国に伝え、その国で国技に匹敵するほど人気が出たのだが、その国の人々が全く自分のことを知らず関心もないとするならば、どのような気持ちになるだろうか?

ホーレス・ウィルソンは意図して野球を伝えようとして日本に来たわけではなかったかもしれない。
しかし、その業は「歴史の始まり」であり、0(ゼロ)から1(イチ)を創った偉大な営みであったことを記憶するべきだと考える。

44年もの空白の歳月を埋めることはできないけれども、現在野球を楽しむ人たち、そしてこれから野球を楽しむ人たちは彼の名を覚えておくべきだろう。

 

今回、今現在自分が立っているこの“時”に起きている事の始発が何なのかを正確に知ることの大切さを深く悟った。
野球について日々勉強を重ねる中で学んだことを共有したく、綴った。

2022年もキリスト教福音宣教会の野球部は歩みを止めません!

遅くなりましたが…

明けましておめでとうございます。
今年もキリスト教福音宣教会の野球部をよろしくお願い致します。

2022年がスタートして1週間が経ちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は日本に帰国し、新年早々から活動を開始しております。

1日にはバッティングセンターに足を運びました。
ダブルビンゴを取ればもう一回出来るというストラックアウトでは、2回連続でダブルビンゴを達成し、36球連続で投球しました。一か月ほど投げていなかったので、良い投球練習の機会になりました。
またバッティングでは110キロで20球のみ打ちました。スイングの中で右手を早く返さずハンマーで釘を打つ動作を意識したのですが、心に適う打球は3球ほどでした。
新年早々、バッティングセンターに足を運ばれていた方が結構いました。
野球人口が減っていると言われていますが、野球が好きな人はたくさんいるのではないかと感じ、嬉しい気持ちになりました。

4日には練習メインで少人数の部員とともに活動しました。
球場に向かう途中、巨大な虹を見ました!
神様が自然万物を通して共にしてくださるシルシを見せてくださったので、心から神様に感謝感激し、感嘆しました!

写真ではあまり濃く写っていませんが、実際に見た虹は鮮やかで、カメラに収まらないほど大きかったです。

チョンミョンソク牧師は各自個性で神様に栄光を帰しなさいとおっしゃいました。
部員たちは野球という神様が創ってくださった運動芸術で各自の個性を発揮しながらプレーし、神様に栄光を帰しました。

私は先日、新しく購入したノックバットでノックを通して栄光を帰しました。
ノックをしながら、過去を回想しました。ほぼ毎日ノックバットを握って約6年の歳月が経ったのですが、やった分だけ、努力した分だけ技術が向上したことを悟りました。

今年も摂理の野球部は歩みを止めません。
コロナ感染予防のため、まだまだマスクと共に野球をする日々が続くとは思いますが、皆様も決して歩みを止めずに頑張っていただきたいと思います。

【2021年全国大会3日目】インプレー中の出来事をどう裁くか

この日の試合ではヒヤッとする出来事があった。
走者2塁の場面。
試合を完全に決めるダメ押しの得点シーンだった。
打者が完全に捉えた強烈な打球が投手の足に直撃したのだ。
投手はその場に倒れ込んだ。
その時打球は1塁ベンチの前まで転がっていた。
2塁走者は3塁ベースを回ってホームへ向かう。
そこで主審はなんと「タイム」をコールした。
本来ならばダメ押しの得点が入るところだったが1、3塁となったのだった。

サッカーではフィールドで選手が倒れた場合、わざとボールを外へ蹴り出しプレーを中断させることができる。
そして倒れた選手への対応が終わった後、プレーが再開されれば、相手はボールを返してくれる。
もちろん審判が笛を吹かなければ、プレーは続行されるのだが、たいていの場合、誰か倒れていたらプレーをわざと中断させる。
サッカーにおいてはこのような暗黙のルールと言うべきか、素敵な文化がある。
紳士的な対応だと思う。

野球においてはそのようなプレーは存在しない。
打球が当たって倒れたとしても、プレーは続行される。
しかし、今日の試合においては、審判がプレーを止めた。
この判定に対して怒りをあらわにした人もいたが、私個人としては、心の中で拍手喝采した。
得点できなかった悔しさなど微塵もなかった。

先生は相手を恋人と思ってプレーすることを教えてくださった。
ルールにはないが、大切な相手チームの選手が倒れた場合、プレーを中断させるという対応をとるのが良いのではないかと思う。
得点の有無や勝敗という次元の話ではなく、大切な相手チームの選手を想う行動が増えることを願う。

結果的にチームは勝利を収めた。
2年ぶりの決勝進出を決めることができた。

今大会、一つひとつの出来事を通じて大切な気づきを得ることができている。
結果がついてきていることも喜ばしいことだが、それ以上にそれらの気づきが自分の糧になっていることが非常に大きいと感じている。

明日は休養日。
明後日の決戦に向けてしっかりと備えたい。