アスリート・スポーツ選手たちは競技生活の中で多くのストレスを受けている。
日々の戦いの中で疲労も蓄積されていく。
ゆえに休養が絶対的に必要だ。
特にプロ選手たちは競技に自分の生活が懸かっているため、そのストレスは想像を絶するほど大きいものだ。
休養日にはストレス解消のために自分の好きなことをし、蓄積した疲労をとるためにすべてのことを横において身体を休めることに専念したいというのが本音だろう…
私もそのようなアスリート・スポーツ選手のうちの一人だ。(私は指導者という役割・立場であるのだが…)
ここ一カ月は週に1度の休養日のみ、残りはすべて野球に打ち込む日々だった。しかも1日平均7時間…
さらに、その休養日には主日礼拝を捧げたため、ここ一カ月は休むことはできなかった…
正直、休養日に礼拝を捧げ、長時間の御言葉を聞き、消化するのには労力がいる。
身体の疲労感と倦怠感によって、苦しくなったことは多々あった。
しかし、私は、信仰生活を始めて以来、信仰を辞めてしまおう、捨ててしまおうと思ったことはない。
信仰を持ち続け、休養日に礼拝を捧げ、御言葉を聞くことには理由がある。
労苦したその分だけ得られるものがあるからだ!いや、苦労したよりも得られるものがあるからだ!!
今日、過ぎた日を考えなさいと御言葉で教えてくださった。
過ぎた日を考えてみると、信仰生活を始めて以来、本当に多くのものを得たことを思い出す。
お祈りをし、そのお祈りの通りに叶えてくださったことがあまりにも多い。
神様の存在を認めざるを得ない。
御言葉で人生どのように生きるのかを教えてもらい、競技でどのようにすればよいのかコーチを受けることができた!
今現在、自分が神様を信じず、御言葉を聞かず、信仰を持たずに生きていたらどうなっていたかは分からないが、今より勝った人生は送ることはできなかったと思う。
信仰を持っていようがいまいが、生きていれば喜怒哀楽、楽しいこともあれば辛いこともある。
春夏秋冬、季節が変わるように、状況環境が変わる。
そして、自分の心もころころ変わる。
そんな自分の心を掴んでここまで生きて来られたのは信仰のおかげだった。
御言葉が羅針盤となったため、人生という航海でさまようことはなかった。
辛い時、苦しい時、過ぎた日を考え、今後も競技生活で勝利を収めていきたい。