【師弟同行】信じるということ

みなさんは誰かを信じたことがありますか?

また、誰かから信頼されていると感じたことがありますか?

 

 

野球のサインプレーを通じてこんな質問が思い浮かびました。

 

 

監督は選手のことを信じてサインを出すし、
選手は監督のことを信じてサインを実行に移す。

双方の「信」が合わさった時に成功するのがサインプレーではないかと思います。

 

しかし、信じるということは容易なことではないと感じます。

監督にとっては、
選手の過去の失敗が頭をよぎる。

でも次はうまくできるだろうと選手を信じてサインを出す。

 

選手にとっては、
自分の考えとは異なるサインが出ることがある。

でも監督の考えを信じてサインを実行する。

 

 

先日の試合でそのような経験をしました。

「甘く入ったら打たれるかもしれない」と迷いましたが、
サインを出すときには選手の力を信じてストレート勝負を懸けました。
結果、三振を奪うことができました!

もちろん、結果論的な論議でもあるかもしれませんが、
信じるという土台の上に出た結果であると信じます!

 

 

信仰においても同じではないかと考えました。

 

神様という存在を認めて、
神様がおっしゃる御言葉を信じて行なってみたときに、
監督と選手の間のような信頼関係(すなわち信仰)が生まれると思います。

 

主を少しだけ信じるから、疑いが生じて、結局信じられなくなるのだ。
たくさん信じてこそ、疑わずに完全について行く。

 

鄭明析牧師がおっしゃるように、
少しだけ信じるのではなく、
たくさん信じてこそだということを忘れないで、
野球も信仰も熱心に取り組んでいきたいと思います!!

 

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