クリスマスの夜…

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この写真は近所の空きグランドで撮影したものなのですが、
毎日グランドの同じところを数十周もランニングをしている方がいて、
(しかもその方は数十年も続けていらっしゃるのだが、)
“道”ができていることに驚き感激した次第です。

そして、
「どれだけ繰り返し同じところを踏めばこのように道ができるのだろうか?
さて、キリストという存在は人類を救うために来たけれども、
言い換えるならば“救いの道”を切り開くために来たけれども、
それはただでできるものではない。
どれほどの労苦があったのだろうか?」
と考えが深くなりました。

主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。(ヘブル人への手紙章18節)

人の痛みはその痛みを経験したことのある人にしか分からない。
しかし、人の痛みを一番よく分かる存在がいるけれども、それがキリスト。
突然キリストという存在として世の中に現れたわけではなく、
大工の息子として生まれ(マタイによる福音書13章55節)、
世に福音を伝え始めたのが30歳の時であるのだが、(ルカによる福音書3章23節)
40日間の断食をして悪魔の試みに勝利したり(マタイによる福音書4章1-11節)、
上記の聖句(ヘブル人への手紙章18節)からそのほかにも成長過程の中で数多くの試練を乗り越えられたりされたことが察せられます。

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人の痛みや労苦を分かってくださるキリスト。
そんなキリストが語る一言は、まさに人々にとっての“救い”の一言だと確信する。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。(マタイによる福音書11章28-29節)

人の痛みを包むことのできる愛はどれほど大きいのだろうか…

救いの道を切り開いたキリストの労苦を考えながら、
キリストが語る一言に胸打たれたクリスマスの夜…

 

とある企業で働き、過労が原因で自殺した方がいらっしゃることをニュースで聞きました。
今後そのようなことが起こらないことを祈るし、
その方のように本当に苦しんでいらっしゃる方にこの一言が届きますように。

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