思い浮かんだ時、果敢に大胆に素早く行動することで時・機会を掴め!

ある日突然、時・機会が来たら、みなさんはどれくらい果敢に大胆に素早く行動することができるでしょうか?

傍から見たら「あいつはぶっ飛んでる」と言われ兼ねないかもしれないその行動。
しかし、自分が待っていようが待っていまいが時・機会が突然来たら、
それを掴み取るためのありとあらゆる手段を使うでことでしょう!
その時・機会が自分の運命を大きく左右することならば、なおさら…

思い浮かんだ時にやってしまいなさい。
これは「神様の方法」だ。

 

ということで、自分がこの御言葉通りに実践したことが大きく2つあります!

・「引っ越し」の当日手配・荷造り・荷出し完了
普通、引っ越しというと、まずは引っ越し日を決めて、そこから始まると思うのですが、
そう、当日に全部済ましてしまいました!
引っ越し屋さんもよく受け入れてくれたなぁと終わった後に思ったのですがね^^;

・「帰国」の飛行機の当日予約・搭乗
韓国にいながら、日本に一時帰国しないとできない用事ができたとき、
えい、もう今日帰って済ませよう!と朝に当日の夕方の飛行機を予約してしまい、帰国しました!
ちょうど夕方の便もあったし、空席もあったし、荷物も素早くまとめてしまって、「移動が大変だ、面倒くさい」と考える余地もなく日本に到着しました^^;

 

という僕は…
実はとても慎重なタイプです。
じっくりと考える時間がほしいとよく思います。
様々に長所短所も考えながら、最善策も考えながら決断して物事を進めていきたいんです。

でもチャンスを掴むためには慎重さが仇になることもあるわけです…

思い浮かんだとき行なって行く人は成功した人であり、
思い浮かんだのに後回しにして行く人は違う位置に行く人だ。

 

実際、「引っ越し」も「帰国」も思い浮かんだときにすぐにしなくても解決することができる問題ではありますが、
後回しにすることで、違う位置に行っていたことでしょう…
他にもっと神経を使ってすべき仕事がたくさんあるわけですから、そういうものは思い浮かんだときにすぐに片づけてしまうのが知恵ではないかと思います。

 

神様は「考えで祝福をくださる」と先生は教えてくださいました。
これまで思い付かなかったような考え・アイディアが突然来るわけです!!
インスピレーション(=霊感)と言いますよね?
これは神様がくださるんです。

思い浮かんだ時が「そのことをする機会」だ。

 

パッと思い浮かんだその考え、
実は大きな機会を掴めるように神様がくださったものかもしれませんね^^

監獄に入った理由は濡れ衣(ぬれぎぬ)

最近、聖書を一生懸命読んでいる。
分厚い本との戦いには若干の苦戦…

 

聖書、今から何千年も前に書かれたものなのに、
今現在へのメッセージがその中に書かれていることは本当に驚きだ。

「歴史は繰り返す」と言われるが、本当にそうで、
聖書を通して歴史をしっかりと学べば、過去の歴史と同じ過ちを犯すことを避けることができるし、
もしろん、成功の歴史をさらに進めていくことができる。

さて、昨日読んだ聖書の内容を紹介したいと思う。

ヨセフという人物。
彼は兄弟に嫉まれ、エジプトに奴隷として売られるようになってしまった。
しかし、主が共にされ、エジプトで栄えるようになり、王のそばに使えるようになった。

そんなある日、王の妻がヨセフに関係を求めて近寄った。
しかし、ヨセフは拒んだ。何度も。
そんなヨセフに怒りを覚え、ヨセフの着ていたものをもって「私を犯そうとした!」と王の妻は王に告げた。
そうしてヨセフは監獄に入れられるようになってしまったのだ。

(かなり簡潔に書いたので、詳しくは創世記の39章をご覧いただけたら。)

そう、タイトルにもあるように「監獄に入った理由は濡れ衣」だった。

ヨセフには罪がない。
しかし、王の妻のでっち上げによって濡れ衣を着せられることとなったのだった…

 

この歴史の出来事から自分たちは何を学ぶべきだろうか?
今現在に何の教訓をもたらしているのだろうか?

 

冤罪…

 

冤罪について少し調べていたら心が痛くなった…
こちらの記事、時間があれば是非ともご一読いただけたら…

「時間が止まった私、冤罪が奪った7352日」
https://news.yahoo.co.jp/feature/832

 

真実なものは必ず明らかになると僕は信じている。

人はどんな時に無念な思いをするのか?
それは認められない時、だと思う。

学校でも、会社でも、自分が認められない時には本当に無念だ…

自分の主張は間違うこともあるから認められないこともある。
でも、本当にやっていないという事実を語っても認められない時にはどうしたらいいのだろうか…

「やっていないものはやっていない。」
それ以外に口から出て来る言葉があるだろうか…

 

先生について。
僕は、その真実な言葉と行ないを見てついていく。

「摂理の鄭明析牧師10年 鉄のカーテン逆境学ー台湾有力紙 新新聞に掲載」
https://providence-blue.com/about-providence/jungmyungseok/28402

真実なものは真実なものとして認めるられる社会になることを祈る。

団体スポーツで大切なことは「息が合う」こと=「心・考えと行ないが合う」こと

団体スポーツで大切なことは「息が合う」ことだと思う。
「息が合う」と言ったときに、具体的にどのようなことを意味するだろうか?

絶妙なタイミングでパスがつながった時に「息が合った」と言えるし、
言葉は交わしていないけど、バッテリーのサインがピッタリ合った時に「息が合った」と言える。

すなわち、
「息が合った」と言う時には「心・考えと行ないが合った」ということだ!

日頃から様々なプレーについて互いに話をしながら吟味しながら考えを合わせる。
そして、その考えを実践することができるように技術も磨くし、体力も付ける。
そうして初めて「息が合う」プレー、すなわち、「心・考えと行ないが合う」プレーが生まれるわけだ。

 

たくさん経験したことがあると思う。
彼はいつも絶妙にタイミングは合うけれどもキックミスでパスが繋がらない…
どんなボールも受け止めてくれるけれども、いつも自分の投げたいボールと違うサインを送ってくるのでかみ合わない…

 

そうやってスポーツ場面で経験したことは生活でも生きてくる。
職場での生活、夫婦の生活、様々な場面において、
心・考えと行ないを合わせるときに上手くいくもの。
信仰生活をすることにおいても同じだと先生が教えてくださった。

 

団体スポーツで大切なことは「息が合う」こと、すなわち、「心・考えと行ないが合う」ことだ。
ぜひとも意識してやってほしいし、
平昌オリンピックの団体種目を観戦する際にはこのような視点で観戦していただけたら一層団体スポーツの深みに触れることができると思う。