実践が答えだ

「実践者だけが成功する。」

「行なわずにできることがどこにあるのか。」

「実践が答えだ」

と教えてくださったのは先生である。

 

人はあれこれ考えばかりが先行してしまいがちである。
口ではああだこうだと言って言い訳をして行わないことも多い。

行なったら「な~んだ、こんなに簡単なことだったのか~」と言って、
くよくよ悩んでいた自分は何だったのか・・・と思った経験があるのではないだろうか。

最近、摂理の先輩(S.K.さん)が毎日5kmのランニングをしていると聞き、
「俺も負けてられへん!」と火が付いた。

基礎体力を現役時代の頃のように戻そうと奮起し、
まずは仕事終わりにランニングを始めた。

最初の一週間は本当に本当に辛かったが、
何としても行なった。

すると、習慣付いた2週目からは、
仕事終わりに自動的に走り出す自分がいた。

行なうことは易しいことではないが、
行なう習慣がつけば易しいことに気づいた。

「人は決心次第だ。」

「どれだけ強く心を決めるかにかかっている。」

と教えてくださったのも先生だ。

行動力のある人は、
やると決めたことは何としてでもやるんだという、
一見頑固とも捉えられ得る強い考えを持っていると思う。

 

「実践が答えだ。」
この記事を読んだこの瞬間、「プレイボール」だ!

【スポーツ選手必見】逆境の日には考えよ~コロナの時期にやるべきこと~

コロナによってスポーツの各分野においても様々に影響が出ている今日、
スポーツ選手は各自の限られた環境の中で練習に励んでいることと思う。

「運動は感覚だ」と先生はおっしゃったけれども、本当にその通りで、
持続的に運動しなければ感覚は鈍ってしまう。
さらには運動しない期間が長くなれば長くなるほどに
本来の運動パフォーマンスを取り戻すために時間が必要になってしまう。

血眼になって毎日練習を重ねてきた選手・チームにとっては非常に辛い時期であるが、
聖書にも「逆境の日には考えよ(伝道の書7章14節)」とある通りに、
様々に考えなければならないことがあるはず。

団体競技は皆が揃って練習するのが困難な状況にあるため、
チームワークの維持・向上に苦戦することは避けられないが、
このような機会だからこそ自分自身の個人技に一層磨きをかけることに時間を割くことができるだろう。

先生もおっしゃったように「自分を作る機会」として捉えれば、
個人の力をつけること、レベルアップすることに精を出せるし、
自分には何が足りないのか十二分に考え、分析し、直し、新たな段階へと至ることができるだろう。

先見の明というが、
何事も先を見通して今という時間を過ごすことができる人が成功を掴み取る。

「前もって行ないなさい」
これも先生が教えてくださった大きな知恵だが、
これから起こることに対して前もって備え、行なうことができるならば、
100m走をスタートした時点でゴールの目前にいる選手と同じだろう。

 

いつ試合・大会が解禁されるか分からないけれども、“いつか”はある。
その“いつか”に向けて、今、自分自身を作っておけば、
“いつか”が、いつの間にかやって来た時に慌てふためくことはない。

私自身も、その“いつか”に備えて今やれることに最善を尽くしている。

先生は今日の御言葉で「研究し努力して易しくやろう」とおっしゃった。

個々のレベルアップをしようという言葉がどこかピンとこない…
この言葉を先生の言葉を借りて解釈すれば、
今までできていたことを今までよりも易しくやろう!ということだろう。

全力で140kmのストレートを投げていたとするならば、
研究して努力することで、もっと易しく140kmを投げれるようにする。
そうなればレベルアップしたということだろう。

先生がしてくださったコーチ通りに、
ぜひともコロナの機会に自分自身を作り上げ、
研究して努力して、レベルアップして、
一層輝かしい成績を残すみなさんになることをお祈りします。

スポーツで神様に栄光を帰すという前提はいつもどこでも忘れないように。

捨てることのできないアンダーシャツ

野球を始めてからどれくらいの歳月が流れただろうか?と不図思い、
数えてみると…

なんと…

22年もの歳月が流れていた!

人生の3分の2を野球と共に過ごしていると思うと、
物凄い長い歳月だなーと自分自身の人生に感嘆する思いが沸き上がってきた。

何か一つのことを長い間続けることは易しいことではない。

途中で挫折する多くの人たちをわき目にしながらも、
どんなことがあっても最後までその道を行く人が勝利し、その道を制していくであろう。

多く人たちが野球で職を手にすることを夢見ているが、
実際に最後までその志を持ち続けて成功を手にした人はごく僅か…

私がそのうちの一人になることができたのは、
まさに最後までその道を諦めることなく歩んで来たからだと思う。
(もちろん、神様を信じて勤しんで信仰生活を送ったからだ!ということは言うまでもないが…)

さて、今日のタイトル「捨てることのできないアンダーシャツ」、
私にはどうしても捨てられないアンダーシャツがある。

ただもったいないからという理由ではない。

そのアンダーシャツの中に「たくさんの思い出」が詰まっているからだ。

高校の時から今まで使っているそのアンダーシャツは、
正直臭いも良くなく、早く捨てろ!と言いたくなるアンダーシャツ。

しかし、そのアンダーシャツを手に取る度に、今でも昨日のことのように高校の時の記憶がよみがえるから捨てられずにいる。

寝ても覚めても野球、
炎天下の中で毎日何百球も投げたことは少なからずとも今の自分の基礎となっている。

その捨てられないアンダーシャツは左肩の部分が大きく破れてしまっている…
バッティングマシンのローラーが私の左肩をかすめたからだ…

あの時、どのようにして瞬間回避できたのか、記憶にないが、
もし避けなかったならば、今、自分の左腕は無かったのかもしれない…
(守ってくださった神様に心から感謝…)

 

そんな過去も含め、様々な思い出が詰まっているアンダーシャツと、
ついに、今日この記事を境にお別れしようと決断した。

 

過去どれだけ素敵に生きたとしても、
今、現在自分がどのように生きているのかが重要ではないだろうか。

もちろん、素敵な過去は後代にまで語り継がれ誉め称えられるが、
今、自分がどうあるのかがもっと重要だと思う。

先生はコーチしてくださった。

「古いものを葬りなさい。
そうしてこそ新たなモノを得る。」と。

過去より素敵に現在•未来を生きることを決意し、
アンダーシャツも捨て、文章として記録にも残す。