氷点下での練習を通して

日曜日に雪が降り、月曜日から日中氷点下の天候が続いた。
この環境下で5年の歳月を過ごしているが、さすがに氷点下での練習には身体が悲鳴を上げる…
分厚い靴下を履いていたのだが、足の指先の感覚がなくなり、しもやけになった…

そこまでしなければならないのか?と思うかもしれない。
しかし、そこまでしなければ一流にはなれない。
人が休む時に人一倍努力してこそ人の上を行くことができるだろう。

極寒の中での練習を経て、家に帰って先生の御言葉を聞いた。
私の小さな実践に結び付く先生の偉大な実践の御言葉が胸に突き刺さった。

先生は修道生活の期間にテドゥン山で祈られた。
先生が実際に祈られた場所を訪れたことがあるが、そこは岩壁の頂上であり、フェンスも何もないため、落ちたら命の保証はない場所…
さらに冬は氷点下10℃から20℃まで下がり、松の木が寒さで死ぬような場所…
そのような場所で先生は神様を呼び求め、全世界のために祈り、真理を探求した。

氷点下で一日に数時間の練習をするだけでも身体が悲鳴を上げるのが人間…
どのようにして先生が御言葉を受けたのか、少しは肌身で感じた…

偉大な実践から出るそのヒトコトを持って今日一日も生きられることに本当に感謝だ。

切なる思いを祈りに込めて

切なる思い…
どうしても解決したい生活の問題…
誰にも話せない人生の悩み…

そんな切なる思いを祈りに込める時、
心情の涙が溢れ出てくる…

 

あるキリスト教徒の写真を目にした。
みすぼらしい服装の母親が赤ん坊を背負い、聖書を前に置いて、両膝を折って祈ってる姿がその写真の中にあった…
母親の横にきょとんとした顔で座っているのがその人なのだが…

その写真を見て衝撃を受けた…

先生の御言葉を聞いてみると、時折、貧しくて食べることができなかった時の話が出てくる。
私は幸いにも食べるのに困ったことがなかった。
ゆえに、今日の食事のために切なる思いになったことがない…
しかし、食べることができない、苦しい生活を抜け出したい、そんな切なる思いを抱いて祈る母親の姿を通してその心情の一部が心に刺さって胸が苦しくなった…

40代、50代の韓国人に話を聞いてみると、小学校の時(1980年代)にお弁当の中に肉が入っていることはなかったと言っていた。
そして、ハムが入っていた人がクラスに2人しかいなかったと…

多くの人たちが切なる思いを祈りに込めたことを悟った…
先生は、自分自身のためだけではなく、全世界のために祈った…

そういう祈りによって、今の自分の生があることを深く悟った…

 

『私』

ひとかけらの瓦に
千年の夢を乗せ
私は日々希望で艪を漕ぐ

私は
“言葉より実践だ”

体は小さいがすべて理解でき
目は小さいがあの世この世
すべてを見抜く
手と足は鉄の杖のようで
我が人生で使ってなお余る

この身をもって
私のため
家族のため
民族のため
世界のため
天宙のため
未練なく使っていこう

(鄭明析牧師の霊感の詩1巻の中から)

先生が書かれた詩の中に『私』という詩がある。
最後の「この身をもって、私のため、家族のため、民族のため、世界のため、天宙(主・神様)のため、未練なく使っていこう」という部分が好きだ。
そのように生きた先生、自分の次元を超えて、民族・世界・神様のために祈って行われた先生の素敵な生を見習って、私も自分の次元を超えて、民族・世界・神様のために祈っていきたいと思う。
切なる思いを祈りに込めて。

冬トレの指針となるヒトコト

今日は、冬トレの指針となるヒトコトを紹介したいと思う。
私はこのヒトコトを肝に銘じてひと冬を乗り越えれば見違える選手になると確信する。
最近、練習後のミーティングで毎日欠かさずこのヒトコトを選手に話している。

「持続的にやること」

3日坊主というが、良いと思って始めるものの、数日経ってやめてしまうことが本当に多い。
価値や意味を分かっていたとしても、持続的にやることは難しい。
(本当の意味で価値や意味を分かっていないとも言えるが…)
状況環境のせいにして1日2日やらなくなれば、再び始めることはほぼないだろう…
地を這ってでも続けてやるという精神や根性が必要不可欠だ。

近年、科学の発展によって、効率的・効果的なトレーニングがたくさん開発されている。
「科学的」という言葉と対象にして「根性」や「精神」という言葉が使われ、根性論が古いというレッテルを張られているような感じがする。
しかし、いくら科学的にトレーニングを考案したとしても、いざ、そのトレーニングをこなそうとするとなれば、「根性」や「精神」的な部分がものを言うしかない。

もちろん、ただ何でもがむしゃらにやれば良いわけではなく、科学の知見を取り入れてトレーニングを行わなければならない。
しかし、いくら良いトレーニングメニューが存在したとしても、それをこなせなければ何の意味もないということ…

 

持続的にやることは想像以上にエネルギーが要る。
毎日会社に通うことも持続的にやることに含まれるが、とてつもないエネルギーを消費しているだろう…
えいっ!とすべてを投げ出し、現実逃避をしたくもなるだろう…
でもそんな時に、ぐっと堪えて、歯を食いしばってやってこそ、成果を出していくことができる。
仕事の効率を上げたとしても、最後の最後は忍耐や歯を食いしばってやるといったような根性的な、精神的な部分が必要なのだ。

野球の練習を通して、そういう部分を学ぶことができたし、教えてあげらることができると思う。

最後に先生が筋トレをされたエピソードを紹介したい。
先生は一日に600回と目標を定めて運動に取り組まれたそう。
ある日、600回の運動ができなかった。
そこで、次の日にできなかった分を一気にやろうと思った。
しかし、一気に二日分の1200回をしようとしたら疲れ、体に無理がかかった、と。

<毎日持続的にすること>が<一度で一気にやること>よりまさる。
(2017年12月13日水曜日の御言葉)

トレーニングは一日に一気にやったら故障の原因になる。
特に冬トレは強度を高めるため、一気にはできない。
毎日持続的にすることがこの冬のトレーニングに成功する秘訣だ。
このヒトコト、必ず覚えておくことを願う。