毎日行なうことについての金言

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毎日頑張って行なうことだ。「毎日行なうこと」が英雄の生だ。

 

毎日行なうことって並大抵のことではないですよね。

でも毎日行なうことがどれほど大切なのか、分かっている人は多少苦しくても毎日行なう。

<よくできていたこと>だとしても、やらなければ忘れてしまい、実力が落ち、感覚が鈍くなる。

今週、鄭明析牧師はこのように教えてくださいました。

 

先日、久しぶりに野球をして100球近く投げたのですが、まさにこの言葉通りでした。

「やらなければ、忘れてしまう」

 

痛感・・・

 

さらに、2日経った今日も筋肉痛が残っているというざま・・・

 

毎日行なえば<よくできていたこと>も忘れないし、<覚えていたこと>も忘れないし、<感覚と実力>ももっと上がる。

 

野球も現役を離れてから4年経つけれども、この言葉を信じて、少しずつ感覚を取り戻せるように頑張ろうと思います☆

 

 

 

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毎日すべきことをする人は、毎日成功する人だ。

 

毎日すべきことをして、毎日成功を治める人になっていきます!!

後回し人生との決別!

 

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「あ、そう言えばあの仕事やらくちゃ!」と思い浮かんだけれども、「後でやればいいか!」と後回しにしてしまう。

そんなことありませんか?

僕はかなりあります(汗)

一人暮らしで、洗濯物や食器洗いなどは思い浮かんだ時にすぐやればいいのに後回しにしてしまいがち・・・

 

そんな僕に「思い浮かんだとき行なって行く人は成功した人であり、思い浮かんだのに後回しにして行く人は違う位置に行く人だ。」と鄭明析牧師が教えてくださいました。

 

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さらに「やりたくないように自分を慣らしておくと、「やりたくない心」が好きで、「やらないこと」が楽だ。」とも教えてくださいました。

 

なるほど!

後回しにすることに慣れてしまっているから、後回しにすることが楽に感じてしまう。

 

「思い浮かんだときに行なうこと」に挑戦!

思い浮かんだときに行なうことが好きでたまらないくらい、思い浮かんだときに行なうことが楽になるくらい、思い浮かんだときに行なうことを自分のものにしていこうと思います!

 

後回し人生から思い浮かんだときに行なう人生に変化するぞー!!

一つの聖句から犠牲と愛について考えてみる

表題の聖句はこちらです。

 

今日は犠牲と愛について考えてみたいと思います。

 

野球にバントという戦術があるのはご存じかと思います。

口頭では「バント」と単純に言いますが、記録にはこう書かれます。

 

「犠打」

 

犠牲の意味が入っています。

英語では「sacrifice」。

英和辞典を引いて驚いたのですが、一番目の訳が「神にいけにえをささげること」だそうです!

 

さて、僕は「犠牲」についてたくさん考えました。

高校野球を知っている方は良く分かると思いますが、強豪校ではレギュラーになれずに高校3年間を終える子がたくさんいます。

でもその子たちがスタンドで全力で応援しているんです!

練習ではボール拾いを積極的にしたり、バッティングピッチャーをしたり、さらには、ユニフォームを洗濯したりしているんです!

こんなにも犠牲になっている人はこの世の中にいないんじゃないかなぁって思うくらいに。

 

鄭明析牧師はこのように教えてくださいました。

行なうことが愛だ

 

 

もちろんどのような心でやっているかまでは分かりませんが、このような犠牲を少しの愛の心もないのにそのようなことが行なえるでしょうか?

 

 

犠牲・・・

さみしいかな、犠牲というモノは人には分かってもらえないですね・・・

 

(してあげたのに・・・)

(気づいてくれない・・・)

 

こんな心の声が聞こえます。

でも愛するから続ける。

気づいてくれなくても、分かってくれなくても。

愛するから犠牲になる。

 

聖書を知らない人でも、「イエス・キリスト」という名と結末は知っているのではないでしょうか。

最後は十字架の犠牲でこの世を去るのですが・・・

 

ヨハネによる福音書15章13節。

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

こう残していったんです。

究極的な愛の犠牲は自分の命を捨てること・・・

 

 

 

と、犠牲と愛について 考えて見ましたが、あまりにも深いテーマです。

この世の中を見てみると、大なり小なり様々に犠牲になっている方がいると思います。

命を捨てるほどまでに労苦している方も多いと思います。

その一方で、自分が何でこんな目に合わないといけないんだ?なんて心の片隅に感じている方も多いと思います。

 

愛する心で犠牲になっている反面、どこか心苦しくなってしまっている方々、ぜひとも聖書をたずねてみてください。

この聖句の背景を深く読むことで今の自分の犠牲になっても報われない何とも言いがたい心が解かれると思います。